59話:文武両道、義侠心に厚い漢 徐庶(じょ しょ)は劉備と出逢う

2015年4月4日


㈱三国志

 

三国志史上、蜀の丞相、軍師として有名な

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)ですが、

実は、劉備(りゅうび)が生まれて初めて、軍師としたのは、

孔明ではなく徐庶(じょしょ)でした。

 

前回記事:58話:水鏡先生曰く、劉備に足りない人物って誰の事?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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単福(たんぷく)と出逢うが、単福(たんぷく)って誰?

徐庶と出会う劉備

 

水鏡先生こと、司馬徽(しば・き)の元から帰った劉備は、新野城の郊外で、

単福(たんぷく)と名乗る人物に会います。

 

この劉備が出会った単福こそが徐庶でした。

軍師というと、色白の優男で白羽扇より重いものは持てないというイメージ

ですが、徐庶は、このイメージには収まりません。

 



軍師でありながら武にも長けている徐庶(じょしょ)

 

徐庶は字を元直(げんちょく)といい若い頃は、血の気が多く、

武芸で身を立てようと考えている撃剣(げきけん)の名手でした。

撃剣とは、護身術の一種で身を守る為に飛刀や短剣を使う技術です。

 

また、義侠心に厚い徐庶は、友達に仇討ちを頼まれて加勢し、

その為に逮捕されて牢屋に入った事もあります。

 

しかし、その友達の手により牢屋から救いだされて、

考える事があったのか、それからは武芸を捨てて、学問の道に

入っていきます。

 

徐庶(じょしょ)学問の道に進む

 

徐庶は、戦乱を逃れて入った荊州で司馬徽(しばき)に出会い、

彼に師事しながら、孔明とも知遇を得て、共に学問に勤しむようになります。

 

司馬徽の下には、孔明以外にも、孟建(もうたつ)、石鞱(せきとう)、

という同窓生がいました。

 

孔明と徐庶は同じ同窓生だった

孔明 出師

 

徐庶と彼等3名は、学問を精密に研究しましたが、孔明は逆で、

学問を高い地点から見て大まかに要点を掴んで覚えるというタイプだったようです。

 

どちらかと言うと孔明が天才肌で、徐庶は秀才タイプと言えるかも知れません。

 

孔明は孟建と徐庶の才能を評価したが・・・・

孔明 軍師

 

孔明は、よく、孟建と徐庶の才能を評して、

「君達は、まあまあ器用で、何事も卒なくこなすので、

州刺史、郡太守程度には出世するだろうと思うね、、」と言っていたようです。

 

州刺史、郡太守とは、今で言えば、県知事や市長クラスですが、

なんだか、リアル過ぎて、夢がない感じがする人物評です。

 

そこで、ある程度の意趣返しで徐庶と孟建が

「では、お主はどれ位に出世するのだ?」と聞くと

孔明は、笑って、はぐらかすだけで答えなかったそうです。

 

 

劉備は、徐庶を引見して、色々と質問してみますと、若いのに

深く洞察力に富んだ意見の持ち主である事に驚きます。

 

そこで、劉備は、、

「もしや、あなたが、水鏡先生が噂していた臥龍(ふくりゅう)、

鳳雛(ほうすう)でしょうか?」

と質問してみました。

 

すると、徐庶は、声を上げて笑い、

「私のような非才は、臥龍、鳳雛に比較すれば月とスッポンです」

と返答して否定しました。

 

劉備は徐庶を軍師に迎える

劉備

 

ともあれ、劉備は、徐庶を気に入り、軍師として劉備軍に加える事に

なっていくのです。

 

後に徐庶は、曹操(そうそう)軍の程昱(ていいく)の計略で、

魏に降る事を余儀なくされますが、

彼の最終官歴は、右中郎将で、これは州刺史、郡太守に匹敵する地位

だったのだそうです。

 

孔明の人物評は、図らずも的中したと言えるのではないでしょうか?

 

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耳で聞いて覚える三国志

次回記事:61話:曹仁が繰り出した高度な陣形 八門金鎖の陣を繰り出す。劉備軍はどうやって攻略したのか?

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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