曹操とは三国志の中で有名な人物で、悪名としては、特に徐州大虐殺が知られています。そして、曹操の徐州大虐殺のきっかけは曹操の父親であると言われています。今回は、徐州大虐殺のきっかけになった曹操の父親について取り上げます。
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徐州大虐殺とは
曹操は20歳で推挙され、出世しました。出世後、徹底的に法を遵守するなど有能な政治家として知られるようになりました。軍事面では、黄巾の乱を鎮めたことでも有名です。
黄巾の乱を鎮めたことが評価され、皇帝直属の軍隊を指揮する西園八校尉に任命されました。曹操は出世しますが、曹操の父親である曹嵩が徐州の兵に殺される事件が起こりました。この事件に対して曹操は徐州を侵攻することを決めました。この時の曹操は父親の曹嵩が殺されたので怒り狂っていたと言われています。曹操は兵士だけでなく住民も虐殺しました。
史料によれば、死者の数が数万程度で、死体で川がせき止められたと書かれています。虐殺の結果、徐州は壊滅的なダメージを受けました。
曹嵩はどこの出身?
曹操の徐州大虐殺のきっかけとなった曹嵩について取り上げます。三国志演義によれば、夏侯惇と曹操は血縁関係にあるので曹嵩の出身は夏侯氏であると言われています。
しかし、曹嵩の出身については疑問点が残されています。陳寿の魏志と武帝紀によれば曹嵩がどこの出身かは書かれていません。正確に言えば、曹嵩の出身は明確に出来ないと書かれています。曹嵩の出身についてなぜ史料では明確にできないと書かれているのでしょうか。曹嵩の出身に関する史料で記録が残っているものについては、三国志演義と陳寿の三国志を補足した裴松之の書物だけで他の史料では一切出ません。史料の信憑性と仮に曹嵩の出身が夏侯氏であればどのようなことが起こるのでしょうか。このことは次の節で取り上げます。
史料の信憑性とタブー
曹嵩に関する史料については嘘と真実が混ざっているため信憑性に乏しいと評価されています。もし、曹嵩の出身が真実で夏侯氏だとすれば、当時の中国においてタブーを侵していることになります。ここではそのタブーについて取り上げます。
中国では妻は必ず異姓から迎え入れ、養子は必ず同族から迎え入れる慣習がありました。曹嵩の場合、養子として迎え入れるならば同族の曹氏でなければなりません。出身が夏侯氏であると異姓養子を迎え入れたことになり、タブーを侵したことになります。
曹操が出世して政治の中枢にいるときに異性養子を解禁したと言われています。当時、戦乱が相次いで起こっていて血筋が途絶えるのを避けるために解禁したと言われていますが、当時タブーとされていたい異性養子という曹操自身のマイナスの部分を消したかったと言われています。
三国志ライターオフィス樋口の独り言
曹操の祖先は秦の末期から前漢にかけて活躍した曹参であると言われています。曹参の子孫には曹操の祖父で、曹嵩の父である曹騰がいます。曹操の父と祖父との間には直接的な血のつながりはありません。直接的な血のつながりがない理由として曹騰は宦官であるという記録が史料に残されています。
宦官とは去勢した家臣のことです。宦官になると子孫を残すことができないことから養子を迎え入れます。曹騰については夏侯氏から養子として曹嵩を迎え入れています。今回は曹操の父・曹嵩について取り上げました。曹嵩については記録を残すことができないと書かれている史料や、信憑性の面で評価されていない史料があり、未だ曹嵩の出身について謎が残されています。曹嵩の謎を解くことで曹操の政治面での評価が変わるかもしれません。今後の研究に注目したいと思います。
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