孫堅から孫権はどんな所を受け継いでいたの?


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海賊時代の孫堅と孫策

 

孫堅(そんけん)には二人の素晴らしい息子孫策(そんさく)孫権(そんけん)がいました。

長男・孫策は孫権の勇猛果敢で戦が強い所を受け継いで、江東を一気に席巻し、孫呉の基盤を作り上げた人物です。

では孫権ですが、父・孫堅のどんなところを受け継いだのでしょうか。

 

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孫権は孫堅のどんな所を受け継いだのか

痛い目にあう孫権

 

孫権は父・孫堅に似ずあまり戦に強くなく、合肥の戦い(がっぴのたたかい)では何度も痛い目にあっています。

では孫権は父孫堅からからどんなところを受け継いだのでしょうか。

 


 

孫堅の決断力を政治力を受け継いだ孫権

呉の孫権は皇帝

 

孫権は父・孫堅から何を受け継いだのでしょうか。

それは決断力であったと思います。

父・孫堅は戦において迷わず決断を下しております。

 

例えば、孫堅が治めていた長沙の隣で賊徒の反乱が発生。その土地の太守は賊徒の攻撃を受けて危機的な状況に陥っていたため、孫堅へ助けてくれと要請を送ります。

孫堅は出陣の準備を整えていると側近からやめた方がいいとのアドバイスをもらいます。

しかし孫堅は「私は近隣に兵を入れたとの罪を得たとしても天下に恥じるところは何もない!!」とすぐに決断して援軍を自ら率いて出陣。

 

賊徒たちは孫堅軍がやってくることを知ると急いで逃亡し、孫堅の土地の隣の太守は命からが助かることが出来たそうです。

このように孫堅には決断力のある武将でした。

 

kawauso編集長
kawa註:孫堅の行動はどこが問題?

どうして孫堅の側近は隣の土地が賊の侵略でピンチなのに出兵を渋ったのでしょうか?

当時は群雄割拠の時代と違い、まだ漢王朝が機能していました。

出兵については、自分の領地で起きた反乱を鎮圧するのは

事後申告でも構わないのですが、自分の担当地を越えて

兵を出すには洛陽まで出兵許可を受けるのが普通だったのです。

これを無視すると謀反を疑われたので、孫堅の側近は、

出兵を渋ったのですが、孫堅は今にも隣国は賊に制圧されようとしているのに許可を待っておれるかと独自判断で

出兵してしまったのです。

 

孫権も父・孫堅のすぐれた決断力を受け継いだ人でした。

例えば、荊州を関羽から奪う時にその決断力を発揮しています。

孫権は当時劉備と同盟をしていましたが、荊州に駐屯していた関羽が荊州北部の曹操の領土へ向けて北上した事を知ると、迷わず劉備との同盟を破って、荊州へ出陣。

結果は皆さんが知っている通り、荊州を関羽の元から奪い取ることに成功し、孫呉の領土を拡大しています。

孫権に決断力が無ければ、荊州を奪い取るチャンスを失っていたかもしれません。

このことからもわかるように孫堅の決断力を孫権が受け継いだと言えるのではないのでしょうか。

 

【呉のマイナー武将列伝】
呉の武将


 

孫堅の人物観察眼と政治力を受け継いだ孫権

魏延の謀反を察する孫権

 

孫堅は有能な人材をすぐに登用して活用し、領土である長沙の統治に活用することで優れた政治力を発揮していました。

孫権もこの孫堅のいい所を受け継いでおり、有能な人材を次々と登用しています。

例えば諸葛瑾(しょかつきん)歩隲(ほしつ)など在野で有能な人材であれば、すぐに登用しています。

また他人が推挙してきた人物でも有能であれば、すぐに採用して配下に加えています。

 

そして孫権はただ優秀な人材を配下に加えるだけでなく、彼ら有能な人材を適材適所に配置していき、孫呉の領土経営を行う地位へと抜擢し、土地の政治を任せていきます。孫権は文官だけでなく武官もすぐれた人材を見つければすぐに登用して抜擢。

 

孫権に抜擢された武官の中には甘寧(かんねい)潘璋(はんしょう)など多くの武将達を見出しています。

このように孫権は父・孫堅の政治力と有能な人物を登用することのできる人物観察眼を受け継いだと言えるのではないのでしょうか。


  

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

三国志ライター黒田レン

 

兄であった孫策は「江東の軍勢を率いて戦において決断を下して敵兵を打ち破る能力においては俺の方が上だろう。しかし優れた人材をうまく使ったり、優れた人材を見つけ出して登用する点や江東の勢力を保全していく能力は、君の方が勝っている。」と孫権の能力の秀でている所を述べております。

 

孫策が言った通り、孫権は父・孫堅から勇猛果敢で戦が上手い才能を受け継ぎませんでした。

しかし孫堅の政治力や決断力、人物を見抜く観察眼、優れた人材を登用して適材適所に配置していく能力など多くの才能を受け継いで江東を安定に統治しています。

これらの能力を孫権が孫堅から受け継いだからこそ、三国志の三国の中で一番長い王朝を作り上げることが出来たのではないのでしょうか。

 

■参考文献 三国志 素顔の英雄たち等

 

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