本日は、美人の方にとっては悲しい記事、中身で勝負される方には朗報かもしれません。若くして亡くなった魏のスーパー軍師・郭嘉さまに、なんとブサセン疑惑が!ただし、今回の記事のデータソースは、はじめての三国志のマスコットキャット・黒田レン氏の歴史好きのお友達からの伝聞で、確定情報ではありませんので、郭嘉ファンの美女の方もまだがっかりしなくて大丈夫です!
黒田レン氏のお友達からの情報
黒田レン氏のお友達からの情報は、この過去記事にあります↓
「?」が三つもついていますね!この記事によれば、郭嘉のお嫁さんが誰なのか知りたいと思った黒田氏はいろいろ調べたものの、有力情報が得られず、歴史好きのお友達に相談したそうです。すると、南陽の龐氏という人が郭嘉の奥さんであるという情報が得られたそうです。ただし、そのお友達もどこでその情報を得たかは忘れてしまったそうです。
郭嘉ファン美女の方は、「そのお友達が幻を見たんじゃないかしら」と思っておけば大丈夫です!(レンさんのお友達さん、ごめんなさい!)
ブサイク情報はどこに?
黒田氏の記事では、南陽の龐氏という名前はでてきましたが、ブサイク情報はありません。
中国版ウィキペディアのような「百度百科」で(中国版ウィキペディアはちゃんとあります。維基百科)「龐姓」を調べてみると、龐という姓のルーツは陝西省、襄陽、青海省、モンゴルにあるようです。陝西省、青海省、モンゴルの三カ所は、龐氏がいたという南陽から遠いので、龐氏は襄陽系でしょう。ところで、襄陽出身の龐姓の有名人といえば、ブサイクキャラとして知られる龐統ではありませんか!?(蒼天航路ではハンサムでしたが……)
龐統の見た目
龐姓のルーツはさておき、南陽と襄陽は地理的に近いので、一族である可能性は高いでしょう。さて、龐統の見た目ですが、正史三国志の龐統伝には次のようにあります。
少時樸鈍、未有識者。
(少(わか)き時 樸鈍(ぼくどん)、いまだ識(し)る者あらず)
「樸」は、かざりけがない、地味、質素、というような意味です。この部分、ちくま学芸文庫の『正史三国志5蜀書』井波律子訳では、「若いころ地味でもっさりしていたので、まだ評価する者がなかった」となっています。
龐統=地味でもっさり、と記憶されている方が大勢いらっしゃるのではないかと思います。まあとにかく、よほどパッとしない見た目だったのでしょう。歴史書にわざわざ「樸鈍」って書かれるということは、よっぽどですよ!
郭嘉のお嫁さんが龐統とそっくりだったとしたら……
近くに住んでいるおんなじ名字の人だというだけで、容姿が似通っているとは限りません。龐統自身からして、立派そうに見える見せ方を知らなかっただけでブサイクではなかったかもしれません。
しかし、あえて想像してみましょう。龐統がとってもブサイクで、郭嘉のお嫁さんも龐統そっくりの見た目だったとしたら……ちょっといい話だと思いませんか?郭嘉が、見た目がムムムな奥さんをものすごーく大事にしてちやほやしてるところを想像すると、すごくいい絵だな、って思います。女性も男性も、見た目(だけ)じゃありませんよ!郭嘉がそういう奥さんを選んだとしたら、きっと他によほどいいところがある素敵な方だったのではないでしょうか。これいい話だと思うので、そういうことにしときませんか?(あ、郭嘉ファンの美女の方はそんなわけないと思っといて下さい)
三国志ライター よかミカンの独り言
仮に奥さんがブサイクであったとしても、必ずしもブサセンであったとは限りませんが。諸葛亮の奥さんも見た目はムムムだったという話がありますね。賢い人は、人を中身で評価する傾向があるのかも……。傾向を語るには、サンプル数が少なすぎますね。
諸葛亮の奥さんはブサイク(正史三国志諸葛亮伝の注に引用されている『襄陽記』)、郭嘉の奥さんもブサイク(根拠なし)。周瑜は他人が楽器を弾き間違えると目くじらをたてる変わった人(正史三国志周瑜伝)。そして荀彧は、彼のいた場所は三日経ってもニオイが残るほどお香のニオイがきつすぎる人(藝文類集(げいもんるいじゅう)に引用されている『襄陽記』)。
こうやって、三国の軍師キャラに変なキャラクター付けをしながら遊んでいると、絵的に面白いなーって思います。郭嘉の奥さんの容姿については根も葉もない妄想ですけれども!
• Googleで「南阳 郭嘉 庞氏」で検索すると、中国版yahoo!知恵袋のような「百度知道」で龐氏のことが出てきました。出典は『志林』だが信憑性は高くない、とありました。『志林』と略されるような本はたくさんありそうですよね。どの志林ですのんw って感じです。
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