諸葛亮の奥さん(黄夫人)は本当に醜女だったの?

2018年12月18日


 

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黄夫人

 

蜀の忠臣・諸葛亮(しょかつりょう)の奥さん、黄夫人(こうふじん)。正史三国志諸葛亮伝の注釈に引用されている『襄陽記』では、実父の黄承彦(こうしょうげん)が彼女のことを「醜女」だと言っています。このことから諸葛亮の奥さんブス説が定着しておりますが、はたして彼女は本当に醜女だったのでしょうか。

 

※本文中「ブス」という言葉が多用されておりますが、「整ってはいないが親しみやすいかわいらしい見た目」を表す用語としてご理解下さい。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『襄陽記』の記述

黄夫人

 

黄夫人ブス説の根拠となっている『襄陽記』の記述をみてみましょう。

 

黄承彦は気高く爽やかで開朗な沔南の名士である。諸葛孔明(しょかつこうめい)(諸葛亮)にこう言った。

「君、婚活中なんだってね。うちにブサイクな娘がいて、髪は黄色く色黒なんだが、

才知のほうは君とお似合いだ」

孔明が縁談を受け入れると、黄承彦はさっそく娘を車に乗せて送り込んだ。

当時の人々はこれを笑いものにして、郷里ではこんなことわざができた。

「孔明の嫁とりをまねするな、阿承のブス娘をつかむことになるぞ」

 

黄承彦のせりふは「君 婦を択ぶと聞く。身に醜女あり。黃頭黒色、而れども才は相配するに耐う」地元のことわざは「孔明の婦を択ぶを作すなかれ、正に阿承の醜女を得べし」です。“醜女をつかむなんて、孔明ったらw”っていう面白エピソードですね。

 

 

 

真相は藪の中

黄夫人

 

地元の人たちが「阿承の醜女」と言っているんだから、やっぱりブスなんでしょ、と思いがちですが、真相は誰にも分からないと思います。諸葛亮は仕官前でもいっぱしの名士でしたので、奥さんを軽々しく人目にさらさないだろうからです。

 

深窓の令嬢のような状態で、目撃情報は期待できません。彼女の身近な人は容貌を知っていたはずですが、もしブスだったら身近な人はそんな秘密をペラペラと他人に話すはずはありませんし、ブスじゃなかったとしたら「本当はブスじゃないよー」と身近な人が言っても、それを聞いた他人は ”この人は身内だから身びいきしているだけだろう”と疑って面白いブス説のほうを信じたがるでしょう。

 

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

黄夫人ブス説が流行する理由

諸葛亮孔明

諸葛亮

 

後世の人たちからすれば、忠臣で名宰相のスーパーマン諸葛亮に《しかし、そんな彼にもたった一つ残念な点が……それは、奥さんが超絶ブスだった!》という味付けができるとオイシイので、黄夫人ブス説は残したいですよね。

 

同時代の人たちは、黄承彦の人脈に目がくらんで嫁選びで妥協するなんてセコい奴、という軽蔑の意味もあって、ことわざにまでしたかもしれません。諸葛亮は、当時住んでいた荊州ではよそ者であったので、荊州牧(長官)の劉表(りゅうひょう)や荊州政権での有力者・蔡瑁(さいぼう)と姻戚関係にある地元の名士・黄承彦の人脈は、諸葛亮の存在感を増すためにはいい材料だったはずです。

 

 

 

「醜女」と言ったのは親の謙遜かも

諸葛亮孔明と黄月英

 

黄夫人ブス説の根拠は、『襄陽記』にある黄承彦のせりふ「身に醜女あり。黃頭黒色」だけです。これは、普通に考えて、親が謙遜して自分の娘のことを悪く言っただけなのではないでしょうか。例えば、自分の息子のことを言う時のへりくだった表現で「豚児」という言い方がありますが、これはべつに本当に豚のような息子なわけではなく謙遜しているだけです。

 

もう一つの考え方としては、お婿さん候補にわざと娘のこを悪く言っておいて、実際に会ったら“あれっ、案外美人じゃない?”って喜んでもらえるようにしたのではないでしょうか。最初から「家に才色兼備の娘がいて」なんて言ってしまうと、会いもしないうちから期待度MAX。実物が想像通りの美人でも喜びは少なく、想像していたよりも美人じゃなかったらがっかりです。

 

「醜女」と言って期待値を低くしておけば、会ってからがっかりされることはありません。ブス発言は、娘の幸せを願う親心だったかもしれませんよ。さらにうがった見方をすれば、人を中身で評価できる人物かどうか諸葛亮を試そうとしたとか、ブスと結婚してまで俺の人脈とつながる覚悟はあるのかと問うたとか、いろいろ考えられます。

 

 

 

ブスだから焦って嫁に出した?

陳平

 

しかし私は見つけてしまいました。黄夫人がやっぱりブスだったかもしれないと思う材料を……。それは先ほど書き出した『襄陽記』の記述にある「黄承彦はさっそく娘を車に乗せて送り込んだ」という一文です。

 

中国の結婚って、ふつう新郎側が乗り物を用意して、新婦の家にお嫁さんを迎えにきませんかね。正史三国志武帝(ぶてい)紀の注釈に引かれている『献帝(けんてい)起居注』では、献帝が曹操(そうそう)の娘を娶る時に献帝側から使者を出して彼女を迎えに行かせています。しかるに、黄承彦は、諸葛亮からOKの返事を聞くやいなや、自分のほうから車を出して娘を諸葛亮のところに送り込んでいます。(原文に「即(すなわち)」とあるから急いでるっぽい)そんなに慌てて嫁に出したということは、やっぱりブスで、相手の気が変わらないうちに早く結婚させてしまおうと考えたのかも……。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

真相はどうであれ、面白いお話には違いありませんね。ブスだと言われていたけど本当は美人だったというのもよし、本当にブスだったけれども諸葛亮は人を中身で評価するナイスガイだというのもよし。人様の奥方がどんな容貌だったかあれこれ想像するのは失礼ですが、そんな想像をしたくなるほどに諸葛亮は人気者だということで、ご本人方にも失礼を許してもらいたいと思います!

 

 

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よかミカン

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三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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