広告

岳飛とはどんな人?実は和平を邪魔した将軍だった

2019年1月26日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

岳飛(南宋の軍人)

岳飛

 

岳飛(がくひ)は南宋初期の武人です。日本における知名度は、ほぼ無いに等しいですが近年、北方謙三(きたかたけんぞう)氏が小説『岳飛伝』を執筆したので知名度は上がりました。中国における知名度は抜群であり、「中国史上最大の英雄は誰ですか?」と中国人に尋ねたら、ほとんどが「岳飛」と答えるのが当たり前です。日本史の人物で例えるのなら織田信長(おだのぶなが)坂本龍馬(さかもとりょうま)レベルです。

 

2013年に中国では、「岳飛伝―THE LAST HERO-」というドラマが制作されて人気を博しました。さて、岳飛とはどのような人物なのでしょうか?ドラマはドラマ、史実は史実です。今回は史実の岳飛について解説します。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



農民の子として生まれる

 

岳飛は農民の子として生まれました。父親はすぐに亡くなったので、母親の手により育てられました。農民の子でしたが、識字能力は持っていました。愛読書は『春秋左氏伝』であり、また腕力があって弓の達人でした。項羽(こうう)関羽(かんう)呂布(りょふ)をミックスさせたような感じです。当時の武人は字が読めないのが当たり前だったので、岳飛のようなスタイルは珍しかったのです。しかし、これが後年に彼の首を絞めることになるとは彼自身思わなかったでしょう。

 

 

 

一兵卒から軍功を挙げる

 

宣和(せんな)4年(1122)に、岳飛は兵隊の募集があったので、この時に軍人になりました。一兵卒からのスタートです。岳飛は盗賊退治で功績を挙げました。靖康(せいこう)2年(1127)に、〝靖康の変〟で北宋が金軍により滅ぼされて、南宋が建国されると岳飛は宗澤(そうたく)という人物の配下になりました。

 

宗澤は武人ではなく文官でした。しかし早くから岳飛の才能を見抜いていました。だが、宗澤はわずか1年程度でこの世を去りました。宗澤の代理は杜充(とじゅう)という人でやはり文官でした。ところが、岳飛を含めた他の将軍は、この杜充と意見が合いません。それどころか、杜充はあっさりと金軍に降伏しました。

 

杜充が降伏した時、岳飛は必死で金軍を食い止めるために奮戦しましたが、他の将軍は略奪に行きました。やがて、金軍は疲労と兵糧が尽きてきたことから帰ることになりました。岳飛にとっては微妙な勝利でした。

 

■中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説■はじめての水滸伝

 

 

 

盗賊退治で功績を挙げて節度使に

 

とりあえず、金軍が帰ったので南宋は危機を脱しました。しかし金軍は建炎4年(1134年)に、「(せい)」という傀儡(かいらい)国家を山東省に建設しました。中国の統治が難しいと考えた金軍は捕虜にした中国人に内地の統治を任せたのです。それだけではなく、斉と連携する盗賊まで現れました。岳飛はこの時、張俊(ちょうしゅん)という将軍の副将に出世していました。

 

岳飛や他の将軍は次々と盗賊を退治しました。岳飛はこの時の功績により、節度使の位を授けられました。節度使は唐代では政治・軍事権を持った位でしたが、宋代からは実権は何もありません。しかし武人にとっては、立派な名誉職です。岳飛はこの時、32歳でした。この時の彼の名言があります。

 

「32歳で節度使になったのは、太祖(たいそ)と俺ぐらいだ」

 

太祖というのは北宋初代皇帝の趙匡胤(ちょうきょういん)です。皇帝と自分を同列にするなんて、結構大胆な人です。

 

 

めざましい活躍はみんなの妬みとなる

 

岳飛はその後も活躍しました。斉軍を撃破、盗賊の最大の勢力だった楊幺(ようよう)を討伐したので、侯爵の位を授けられました。だが、その活躍と昇進は先輩たちから妬みを買いました。先輩の張俊が代表でした。

 

張俊はかつて岳飛を推薦した過去があり仲も良かったのですが、岳飛が実力をつけていくうちに、その仲に亀裂が走りました。特に斉軍との戦いでは張俊は、かなりの苦戦をしましたが、岳飛はあっさりと勝利したので、ますます嫉妬しました。また、前述したように岳飛は識字能力がありました。おかげで文官の知り合いも多くいました。一方、張俊や他の将軍は識字能力はありません。これも嫉妬の原因でした。また、岳飛自身にも問題がありました。最初は先輩に対して気遣いをしていた岳飛でしたが、昇進を重ねていくうちに、その気力も失せていき、いつの間にかタメ口を叩くようになっていました。これには先輩全員が腹を立てました。先ほどの「32歳で節度使になったのは、太祖と俺ぐらいだ」というセリフから彼の性格が読めます。

 

 

 

宋金和議の犠牲となる

秦檜(しんかい)

秦檜

 

ところが、岳飛のように文武両道の人は朝廷にとって危ない存在です。南宋も10年近くに渡る戦争で疲弊でしたので、金軍と和議を結ぶことにしました。和議の責任者は秦檜(しんかい)という宰相です。彼はかつて、靖康の変の時に金軍に拉致されましたが、自力で戻ってきた経歴の持ち主でした。秦檜は和議締結に当たり、将軍を都に召喚して、実験の無い名誉職を与えて兵隊を奪うことを提案しました。皇帝の高宗(こうそう)も賛成して、早速実行に移しました。

 

しかし反対する人は岳飛を担いで、反抗しようと企んだのです。ところが、秦檜も負けていません。岳飛と仲の悪い張俊と手を組みました。岳飛を陥れるなら大賛成の張俊は、岳飛の部下の王貴(おうき)を脅迫しました。王貴は軍律違反で岳飛に処罰されていたので、岳飛を恨んでいました。さらに、張俊は王俊(おうしゅん)という男も味方に入れて岳飛に対する罪状を創作しました。こうして、岳飛と養子の岳雲(がくうん)、部下の張憲(ちょうけん)は投獄されました。岳飛は激しい拷問を受けました。

 

 

この時、ムチ打たれた彼の背中に、〝尽忠報国(じんちゅうほうこく)〟という入れ墨があったのは有名な逸話です。この入れ墨のため、彼が忠義の人物の印象が強いのですが全く違います。入れ墨は当時の軍隊が、兵の逃亡防止のために入れたものです。だから、岳飛を忠義の人物と見るのは全くの見当違いです。結局、岳飛は紹興11年(1141年)に無実の罪で牢獄の中で毒殺されました。39歳でした。岳雲・張憲も死刑となり、遺体はさらしものになりました。和議が締結されたのは、彼らの死の翌日でした。岳飛の一族も流刑にされました。岳飛の名誉が回復されたのは、開禧(かいき)元年(1205年)でした。

 

 

宋代史ライター晃の独り言

三国志ライター 晃

 

岳飛は死ぬまで金軍と戦ったのは事実です。無実の罪で死刑になったことから、中国では極度に英雄視されています。しかし先輩を軽視したり、部下の裏切りにあっていることから、「俺は出来る!」というエリート主義は丸出しだったはずです。こんな男のどこが〝中国史上最大の英雄〟なんでしょうか?余談ですが、日本では岳飛の研究よりも、彼を殺した秦檜の政治手腕に着目する研究が多いのです。

 

※この記事は、外山軍治『岳飛と秦檜 主戦論と講和論』(冨山房 1939年)

寺地遵『南宋初期政治史研究』(溪水社 1988年)

をもとに執筆しました。

 

関連記事:ところで水滸伝って何?美味いの?中国の明の時代に完成した四大奇書

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記はじめての西遊記

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

-南北宋
-,