西夏の末裔・チャン族はどんな服飾をしていた?西夏滅亡もざっくり解説

2019年3月12日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

西夏の旗の兵士

 

西夏(せいか)(1038年~1227年)は現在の中国の甘粛省(かんしゅくしょう)寧夏回族自治区(ねいかかいぞくじちく
)
に建国されていた王朝です。通称タングート族と呼ばれています。当時、中国を支配していた北宋(ほくそう)(960年~1127年)とは戦争を行うほどの対立関係でした。

 

北宋滅亡後は南宋(なんそう)(1127年~1279年)とも対立することになりますが、北宋ほどの激しい関係ではありません。最後はモンゴルのチンギス・ハンにより滅ぼされました。

 

タングート族

 

チベット系のミ・ニャク族がタングート族の末裔と言われています。しかし、筆者が調べてもミ・ニャク族については詳細な史料が出てきません。そこでもう1つ西夏の末裔と言われているチャン族について調べてみたところ、こちらは詳細な史料が出てきました。

 

今回はチャン族の服飾について紹介致します。

 

自称・皇帝
当記事は、
「西夏 服飾」
「西夏 滅亡」
「西夏 チャン族」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:宋代の文学作品『宋名臣言行録』とは?分かりやすく解説

関連記事:貨幣や紙幣は宋代に誕生したの?宋代の経済生活を分かりやすく解説

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



チンギス・ハンの西征と西夏の滅亡

チンギス・ハン

 

西夏の第6代皇帝恒宗(こうそう)の時代(1193年~1206年)に西夏は、初めてモンゴルから侵略を受けます。この時期は北方の(きん)(1115年~1234年)も侵略を受けていた時期でした。

 

西夏は恒宗の死後、第7代皇帝襄宗(じょうそう)の時に、モンゴルから2度目の侵略を受けます。南宋の嘉定2年(1209年)には、領土の一部をモンゴルに奪われただけではなく、皇女を嫁がすことで和議を結びました。

 

第8代皇帝神宗(しんそう)はモンゴルと友好関係を保ち、金と戦争を行いますが思ったように効果が上がらずに、逆にモンゴルに攻め込まれました。そして南宋の宝慶3年(1227年)10代皇帝末主(まっしゅ)の時に、西夏はモンゴル軍から攻撃を受けて滅びました。

 

タングート族はその後、モンゴル人やイスラム系の色目人と同化していきました。そのため、純粋なタングート族は残っていません。

10代189年でした。

 

 

 

ミ・ニャク族が末裔

 

四川省にチベット系のミ・ニャク族という民族がいます。彼らが西夏を建国したタングート族の末裔と言われています。なぜかと言いますと、チベットでは西夏を総称して、ミ・ニャクと呼んでいるからです。

 

西夏語は難しいので詳細な解説は省きますが、どうやら漢文献の〝弭葯〟〝弭薬〟の2つの言葉が発音では「ミ・ニャク」に当たり、その意味はタングートに当たるからだそうです。

 

北宋・南宋

 

 

西夏のもう1つの末裔チャン族の服飾

 

ミ・ニャク族については情報量が少なくて、どういう部族なのか筆者も分かりません。調べてみると、もう1つ西夏の末裔と言われているものに〝チャン族〟というのがいます。チャン族はもともと、単一民族ではなく、3000年以上前の殷周時代から存在している民族です。

 

言語から、現在はチャン族がタングート族に近いという説が有力のようです。なお、チャン族はこれは画像があるので提示しておきます。

 

 

西夏の服飾(女性)

 

はじめての三国志」オリジナルイラスト『西夏の服飾』から以下のことが分かります。

 

(1)女性は頭部に髪飾りをすることが多く、ヘアースタイルはお下げ。

(2)頭巾は円形に巻く。これは男女問わず。

(3)耳には色とりどりの飾りを付ける。

(4)羊皮のチョッキを着用。これは男女問わず。西夏初代皇帝の李元昊の名言「タングート族は毛皮を衣服として牧畜生活をしているのです・・・・・・」は間違っていないと分かります。男女の衣服の差は、女の衣服に多くの綺麗な刺繍が施されている点です。

(5)靴は履く人もいれば、裸足の人もいるようです。

 

余談ですが、チャン族には美人も多いようです。これは他の民族と同化したのが原因と推測されます。

   

 

宋代史ライター 晃の独り言

 

西夏の末裔のチャン族の服飾に関しての記事でしたが、いかがでしたか?ネットで検索すると、〝チャン族 美人〟という語句が出てきたので調べたら、本当に綺麗な人ばかり、出たのでびっくりしました。

 

そう言われてみれば、『キングダム』に登場する羌瘣(きょうかい)もチャン族でしたね。どうりで、美人なはずですね(笑)

 

※参考文献

・華梅(著)施潔民(訳)『中国服装史―五千年の歴史を検証する』(白帝社 2003年)

 

関連記事:【宋代の文化】宋代の3大発明を分かりやすく解説

関連記事:宋代の青磁と骨董マニアの宦官・童貫の生涯

 

北宋・南宋

 

 

【動画】関羽雲長が同時代に尊敬していた敵将軍

 

 

はじめての三国志はYoutubeでもわかり易さを重視した解説動画もやっています♪

解説動画が分かりやすかったらGoodボタンを!

気に入ったらチャンネル登録お願いします〜♪

 

はじめての三国志とYoutube

 

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-南北宋
-, , , , ,