樊城の戦いに夏侯惇は来るはずだったの?夏侯惇の意外な一面を知る

2019年4月24日


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はじめてのプロ野球 関羽

 

樊城の戦い(はんじょうのたたかい)と言えば色々な意味で関羽(かんう)有名(ゆうめい)です。

 

曹操と夏侯惇

 

その関羽(かんう)のライバルとして描かれる人物はたくさんいますが、その人物の一人に近年では夏侯惇(かこうとん)が挙げられます。

 

そこまで関りがないのにどうして?と思っていましたが、どうやらゲームなど影響や、演義(えんぎ)でも関羽と戦うシーンがあるからのようですね。

 

曹操と夏侯惇

 

そこで今回は夏侯惇についてもっと皆さんに知って貰うために、樊城の戦い(はんじょうのたたかい)だけでなく色々な面から夏侯惇という将軍を解説していきたいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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猛将イメージの強い夏侯惇?

夏侯惇

 

近年では猛将イメージが高くなっている夏侯惇。

 

彼の荒々しい性格のイメージが付いたのは、彼が若い頃自分の先生を侮辱(ぶじょく
)
した人物を怒って斬り捨ててしまったり、呂布(りょふ)との戦いの中で片目を失って食べてしまったりと言う豪胆(ごうたん)逸話(いつわ)伝説(でんせつ)からどうしても気性の荒い、激しい性格の人物というイメージが付きやすいのでしょうね。

 

また関羽と真っ向勝負するシーンが演義では描かれていることもあり、このことから「気性の激しい猛将で、関羽に対してライバル意識を持っている」という武将として描かれていることがあります。

 

とは言え、これらはあくまで夏候惇の「イメージ」です。実際の夏侯惇という人物はこのイメージからは想像もつかないような、武官(ぶかん)よりも文官(ぶんかん)に近い人物なのですよ。

 

 

 

部下を使うのが上手く、文官よりだった夏侯惇

夏侯惇

 

そんな夏侯惇は正史では文官よりに書かれています。

 

というよりも戦闘はどちらかと言うと苦手な部類の人物だったようで、後方支援を行ったり、農産業の奨励やインフラ整備などを積極的に行う人物で、そちらの方での功績が多く記されています。この記述だけでも、夏侯惇という人物のイメージと違う、と思う人も多いのではないでしょうか。

 

魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

また人を(なだ)めたりする、人間の潤滑剤(じゅんかつざい)として良く務めたようです。多くの人物たちが集う国、それこそ会社であると考えれば人の軋轢は多くあります。

 

その軋轢(あつれき)を少なくしてくれる人物と言うのはとても貴重であり、重要な人物です。部下や民たちからも深く慕われており、人柄の良さがうかがえますね。

 

樊城の戦い特集

 

 

樊城の戦いでは夏侯惇は?

樊城の戦い

 

さてではいよいよ夏侯惇(かこうとん)が樊城の戦いで何をしていたか、何処にいたかを述べていきましょう。正史ですが夏侯惇の記述は樊城の戦いでは殆ど出てきません。その前から合肥(がっぴ)の土地に張遼(ちょうりょう)と共に守将(しゅしょう)として置かれていたようですね。

 

夏侯惇

 

孫呉(そんご)のための備え、ということです。合肥の土地の重要さを見れば夏侯惇が張遼と同じくとても信頼されていた将だと分かります。

 

張遼・楽進・李典

 

また()の合肥と言えば張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)李典(りてん)と言った武将たちが出てきますが、この三名は仲が悪かったとしても有名です。そんな中でもプライベートと仕事を分けて協力し合って孫呉と戦った、と書かれていますが、それにはやはり夏侯惇という潤滑剤も関わってきていたのではないでしょうか?

 

于禁と兵士

 

曹操は樊城の戦いでは最初に于禁(うきん)の援軍、それが敗北したために徐晃(じょこう)の援軍を送っていますが、その後詰(ごづ)めとして次には夏侯惇、張遼に部隊を率いさせて送るつもりであったようです。

 

曹操、ホウ徳、于禁

 

于禁、徐晃と言う名将たちが敗北した場合の切り札であり、最終手段として夏侯惇を動かすつもりだったのでしょう。

 

ここでもし夏侯惇が援軍として配属されれば関羽と夏侯惇、張遼の戦いが見られたかもしれませんが、結果はそうはなりませんでした。文官として優秀なだけでなく、最終的な切り札として配属できる強さもまた、夏侯惇の使い勝手の良さだったのではないでしょうか。

 

樊城の戦いでは名は残さなかったけれど、それ以外では十分に重用されて活躍しているのです。

 

 

清廉潔白な人物だった夏侯惇

夏侯惇

 

夏侯惇は民や部下に慕われていた、と言いましたが、その理由として彼が余分な資産は他人にすぐ配ることも理由の一つでした。

 

最終的に大きな功績を上げ、大将軍にまで任命された夏侯惇の墓から出てきたのは一振りの剣だけだったとも言われています。この人柄こそが魏の中で、彼が多くの人物に信頼されていた証明でしょう。

 

夏侯惇と呂布

 

因みに蜀びいきな演技では、魏の武将や呉の武将がやられ役として使われることが多くあります。そんな演義被害者の会の中でも、実は夏侯惇はやられ役の後にきちんとそれを挽回するようなシーンも描かれているのです。

 

なので結構、羅貫中(らかんちゅう)は夏侯惇を気に入っていたのかもしれませんね。

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

実は筆者も演義から三国志を知ったので、夏侯惇のイメージは猛将でした。しかし正史を読み、そして改めて演義を見直すと、夏侯惇という武将がどう描かれているかの違いがまた楽しく、深く人物評を楽しむきっかけにもなったと思います。

 

正史と演義での違いが大きく、意外なイメージがある夏侯惇、その一面を少しでも皆さんに知って貰えたなら、どても嬉しいですね。

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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