むしろを売って慎ましく暮らしていた親孝行な好青年・劉備。しかし、彼は漢王室の血を引く、覇王となる資格のある者だった…!
みにくいアヒルの子もビックリのザ・主人公なこの設定。
劉備が『三国志演義』における主人公であることはまごうことなき事実ですが、魏を正統としているはずの正史『三国志』についても「実は劉備が正統なんじゃね…?」と長年にわたり議論が繰り広げられるほどです。
ライバルたちと覇を争った劉備ですが、
その祖とされる漢王朝の高祖・劉邦もまたライバル・項羽と覇を争っていました。
ところで、もしも…もしもですよ?
劉邦軍と劉備軍とがまかり間違って入れ替わり、劉備軍が項羽と天下を争い劉邦軍が三国時代の英雄たちと争うことになっていたら一体どうなっていたのでしょうか?今回はそんなたられば妄想話を全力で展開してみたいと思います。
けっこう似ている劉邦と劉備
そもそも「なぜ劉邦と劉備を入れ替えてみようかと思ったのか?」という疑問を抱いた人も多いでしょう。
その理由は、劉邦と劉備が似ているという点にあります。
劉邦はその辺によくいるチンピラっぽい人でしたが、人望が厚く謙虚であったために
張良や蕭何といった名臣をはじめとする優秀な家臣に恵まれました。
一方、劉備の方も持ち前の徳の厚さで関羽や張飛と義兄弟の契りを結び、諸葛亮を三顧の礼で迎えるなど多くの優秀な人材を集めてきました。
劉備の姿を見て「高祖・劉邦が再臨した…!」と思った人もいたことでしょう。そんな2人の軍がもしも入れ替わったとしたら…?ちょっと気になりはしませんか?
劉備軍は項羽を降せたか?
まずは劉備軍が新末期にタイムスリップした場合について妄想してみましょう。
劉邦軍は最初の頃、後のライバルとなる項羽軍の一派でしたが、劉備軍もまた、力を蓄えるまでは項羽軍の傘下に入っていたと思われます。
その後、かの有名な「誰が咸陽に一番乗りする?ゲーム」が始まるのですが、劉邦は咸陽入りを決めたものの、項羽の剣幕にビビりまくって鴻門の会で謝り倒していました。
果たして劉備はどうするでしょうか?
部下にいくら説得されても「デモデモダッテ…」と優柔不断で有名な劉備ですから、正直「咸陽一番乗り!」をキメるとは思えません。おそらく劉備軍はひとまず項羽の顔を立てて項羽に咸陽入りを果たさせると考えられます。
結果、劉邦のように辺境の地・漢中に飛ばされるようなこともなく、項羽の近くで虎視眈々とその座を狙うことになるでしょう。
そして、人望が薄い項羽の周囲の人物を持ち前の徳の力で引っぺがしていき、誰かさんが内乱を起こすのに乗じて天下を乗っ取るのです。
武勇に優れる項羽ですが、劉備には武神・関羽や張飛がついているので恐れるに足らないでしょう。
また、知恵者の范増に対しても諸葛亮が張良よろしくうまいこと対処してくれるはず。劉邦よりも劉備の方がスムーズに天下を取っていたと考えられます。
劉邦軍は中華統一を果たせたか?
打って変わって劉邦軍が三国時代にタイムスリップしたとしたら…?
劉邦軍も劉備軍と同様に曹操やら孫権やらとくんずほぐれつすることでしょう。
しかし、劉邦には劉備とは異なる思い切りの良さがあるため、劉備よりもうまく立ち回っていたと考えられます。
たとえば、劉備であれば「同族を騙すなんてできない!」とデモデモダッテで受け入れなかった成都乗っ取り作戦を劉邦は二つ返事で受け入れていたと考えられます。このような劉邦の性格が幸いして劉邦軍はうまく事を運んでいくでしょう。
ただ、最大のライバルは武力馬鹿の項羽とは異なり、武力のみならず知力も抜群の曹操ですから、天下統一の夢を果たすことができたかといえば微妙です。
しかし、張良・蕭何・韓信といった優秀な部下たちがいた劉邦軍は
曹操相手に劉備軍と同等かそれ以上の戦いを見せてくれたのではないでしょうか。
三国志ライターchopsticksの独り言
劉邦と劉備という男に惚れられるという点で似ている2人。似ている2人が入れ替わったところで歴史が大きく変わることは無いと思う人もいるかもしれませんが、入れ替えた場合を妄想してみると2人が描く『史記』と『三国志』はとても面白そうでした。
思い切りの良い劉邦とデモデモダッテちゃんな劉備。それぞれが描く『史記』と『三国志』をいつか読めたら…。
本当に歴史というものはよくよく妄想を掻き立ててくれるものですね。
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