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関平と関羽の微妙な関係性、正史と三国志演義では異なる二人の間柄

2019年5月16日


 

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林冲、楊志(水滸伝)

 

三国志(さんごくし)』ファン同士で会話をしているとどうにもかみ合わないことがある…ということは意外とよくありますよね。

 

関平

 

そのかみ合わない話あるあるとしては関羽(かんう)関平(かんぺい)の関係が挙げられるのではないでしょうか。関平は関羽の実子だと主張する人もいれば、関平は関羽の養子だと主張する人もいる…。

 

一体なぜこのような違いが生じるのでしょうか?

 

李儒と三国志

 

それはおそらく同じ『三国志』ファンを名乗っていても読んでいる『三国志』が異なるからでしょう。『三国志』と呼ばれるものはおおよそ陳寿が編んだ正史『三国志』と明代に編まれた小説の『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の2種類に大別できます。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

その正史(せいし)『三国志』と『三国志演義』とで設定が異なっているのが関羽と関平の関係性なのです。そのため、正史『三国志』を読んでいる人と『三国志演義』を読んでいる人とで見解が対立するわけなのですね。

 

羅貫中と関羽

 

というわけで今回は正史『三国志』と『三国志演義』とで異なる関羽と関平の関係性について解説していきたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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正史『三国志』では関平は関羽の実子?

晋蜀の産まれ 陳寿

 

正当な歴史書とされている陳寿(ちんじゅ)が編んだ『三国志』においては関羽と関平の関係について次のように記されています。

 

権遣将逆撃羽、斬羽及子平于臨沮。

権将(けんしょう)()りて()を逆撃し、羽(およ)び子の(ぺい)臨沮(りんしょ)に斬る。)

 

「関羽とその子である関平」とあるため、文字通り素直に解釈するならば関羽と関平は実の親子関係にあると考えてよさそうです。

 

正史三国志_書類

 

しかし、少しひねくれた解釈をすると「子」と記されてはいるものの「養子」の「養」などの字を省略しているだけで、関平は関羽の養子なのではないかと考えることもできるかもしれません。

 

同年小録(書物・書類)

 

銭静方(せんせいほう)という人物が編んだ『小説叢考(しょうせつそうこう)』においては清代(しんだい)になって発見された関羽の墓碑(ぼひ)らしきものを根拠に関平は関羽の実子であると断定されています。近代になってもなお関平と関羽の関係は議論の対象となっていたようですね。

 

 

 

『三国志演義』では関平は関羽の養子

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

正史『三国志』の記述をもってしても関羽と関平の関係を実の親子であると断定できないのは『三国志演義』が存在しているからでしょう。『三国志演義』では関羽と関平は実の親子ではありません。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

曹操(そうそう)に盾突いて散り散りになってしまった劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)桃園三兄弟(とうえんさんきょうだい)が感動の再会を果たした屋敷の主人から同じ苗字ということで同族のよしみとしてぜひ息子を関羽の養子にしてくれと頼まれて登場したのが関平でした。

 

関羽

 

このように、はっきりと関平が関羽を養子にする場面が描かれているので、『三国志演義』では関平は間違いなく関羽の養子であると考えられます。一方、正史『三国志』には関羽が関平という子をもうけたことなど書かれていませんし、『三国志演義』のように関羽が関平を養子にしたという描写もありません。

 

三国志演義_書類

 

このような有様ですからしっかり描写されている『三国志演義』の方を信用したくなるものですよね。また、古い歴史書というものは書き伝えられていくうちに文字の異同が生じてしまうものです。

 

そのため、余計に正史『三国志』と『三国志演義』とではどちらが正しいのかわからなくなってしまうのでしょう。

 

三国志平話

 

 

関羽の血脈は孫の代まで続いた

父・関羽とともに亡くなる関平

 

ちなみに、正史『三国志』においては関羽と関平(かんぺい)が処刑された後は関羽の子である関興(かんこう
)
が後を継いだとされています。

 

関興と張苞

 

この関興は諸葛亮(しょかつりょう)に期待を寄せられていたとも書かれているので、関興(かんこう
)
は関羽の実子であったと考えられるでしょう。

 

しかし、その関興は若くして亡くなり、関興の子であり関羽の孫にあたる関統(かんとう)が後を継ぎます。ところが、関統(かんとう)もまた早死にしてしまい、関統の異母弟である関彝(かんい)が後を継ぐことになりました。

 

関羽と関索

 

このように、脈々と関羽の血が受け継がれていったようですが、裴松之(はいしょうし
)
が付した正史『三国志』注によれば蜀滅亡の際に関羽の一族は皆殺しの憂き目にあってしまったようです。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

関平と関羽が実の親子であったかそうではないかについてはまだまだ議論の余地があるでしょう。

今後、関平と関羽の関係が明らかになるような史料が発見されることに期待したいですね。

 

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蜀のマイナー武将列伝

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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