【宛城の戦いIF】もしも曹昂が生きていたらどんな影響があったの?

2019年5月30日


 

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曹休と曹丕を可愛がる曹操

 

あの曹操(そうそう)の一生の不覚と言えばやはり宛城の戦い(えんじょうのたたかい
)
が思い浮かびます。

 

 

悪来と呼ばれた典韋

 

 

曹操はこの宛城で嫡男・曹昂(そうこう)、甥の曹安民(そうあんみん
)
、部下の典韋(てんい)を失いますが、名前を並べただけでも曹操の失ったものの大きさが伝わってくるようです。

 

 

曹昂(曹昴)

 

そこで今回は宛城の戦いのifとして、嫡男・曹昂が生き残っていたら(そうぎ)にどんな影響があったのか、を考えていきたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の嫡男・曹昂、本人の重さ

曹昂(曹昴)

 

あまり知られていないですが、曹操の嫡男は曹丕(そうひ)ではなく曹昂という人物でした。また曹昂と曹丕間には早世した曹操の息子が一人いるため、実質曹丕は三男です。

 

 

曹昂(曹昴)

 

さて曹昂は宛城で父・曹操を逃がすために自分の馬を譲って戦死します。嫡男を失うというのは非常に痛手です。

 

丁夫人

 

しかも窮地において父親を逃がした父親思いの曹昂は、義母であった丁氏(ていし)ともとても良好な関係を築いていました。そんな忠孝な息子であった曹昂を失ったというのは曹操にとってかなり痛手だったでしょう。しかし曹昂を失った痛手は、これだけに留まりません。

 

 

 

 

嫡男を失った以上に重大な損失があった?

曹操を見捨てない丁氏と卞氏

 

さきほど名前が出ましたが、この時の曹操の正室は丁氏、丁夫人(ていふじん)です。丁夫人は実の息子でなかった曹昂を非常に可愛がっていて、宛城で討ち死したと聞いた時に曹操に激怒。

 

 

一人で逃げる曹操

 

離縁して暫く、曹操が迎えに行っても決して許さなかったというエピソードがあります。このことから、曹昂を失った重大な損失が見受けられます。

 

曹昂(曹昴)

 

この頃、親戚関係というのは重要でした。一族が多ければ多いほど味方が増えるだけでなく、さまざまな援助をして貰えるからです。

 

司馬徽と曹操

 

つまり曹昂を失ったことで丁夫人から離縁された、丁一族からの援助を受けづらくなった…とも考えられる訳です。これこそが曹昂を失ったことに対する、曹操の重大な損失と考えられます。この件に関して、もう少し深く考察していきましょう。

 

 

 

曹昂が生き残っていたら考えられたメリット

若い頃の曹操

 

ここで少し曹操の家に付いて解説を。曹操の祖父は宦官(かんがん)で、曹操の父親は養子にされて曹家を継ぎました。当然ながら曹家として兄弟は殆どいないので親戚が少なくなります。

 

 

曹操と夏侯惇

 

 

史実では曹魏の手助けをした親戚として夏候家(かこうけ)がありますが、もし宛城で曹昂が戦死しなければ丁家も親戚として手助けをしてくれた可能性も考えられます。丁夫人が去った後に正室になった卞夫人、嫡男になった曹丕も十分に優秀な人物でしたが、卞夫人は歌妓出身ということでおそらく身分的に手助けが難しかったでしょう。窮地において父親を助けるほどの孝行息子の曹昂が生きていれば、丁夫人は元より丁家からの援助も受けられて曹一族の力は増し、曹魏の天下はもっと長く続いたのではないでしょうか?

 

 

 

曹昂と曹丕の関係性も考慮してみる

曹操と曹丕

 

 

さて更にここで考えて見たいのは曹丕と曹昂の関係性について。曹丕と曹昂はどのような関係だったのでしょうか?

 

 

曹丕

 

 

曹昂が生きていた頃のエピソードでもあれば分かりやすいのですが、残念ながらこの頃の二人のエピソードはありません。しかし曹昂が亡くなった後の、曹丕のある行動から少しばかり想像できます。

 

 

皇帝に就任した曹丕

 

 

曹丕は皇帝になりました。その後で曹丕は曹昂、そしてもう一人の早世した兄の曹鑠には王位を追贈しています。更に曹昂の養子と曹鑠の実子にも王位を継承させているのです。

 

 

後継者争いをしている曹丕と曹植

 

 

曹丕には他にも兄弟がいましたが、彼らに王位を与えても子供までには公位しか与えていません。このことから曹丕は腹違いの兄たちに非常に敬意を払っていると言えると思います。

 

 

曹丕に喧嘩を売る曹植と楊脩

 

 

曹丕は必要以上に親族に権力を持たせませんでした。

 

 

曹植は軟弱ではなかった

 

 

それは内乱の要因を少しでも減らすためでしょう。そんな中でも亡くなった義兄たちに敬意を払ったということは、曹丕にとって二人はそうするべき相手だったのではないかと思います。

 

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

ここまで言いましたが、一族に力を付けさせるというのは一長一短です。

 

 

曹丕と曹植

 

 

曹丕は一族にあまり力を与えませんでしたが、それは逆に司馬一門の反乱を招いたとも言えるでしょう。後世になったからこそ色んな「もしも」を仮定して、批判することも肯定することもできます。しかしそんな中でも、もし曹昂が生きていたら…曹魏の運命はどれだけ変わったのか。良い方に変わるのか、悪い方に変わったのか…そちらの運命もまた、見てみたかったかもしれません。

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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