于毒とはどんな人?袁紹と曹操に戦いを挑んだ黒山衆


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黄巾賊を退治する曹操

 

曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)などが割拠していた時代は、多くの賊徒(ぞくと
)
が出没した時代でした。

 

曹操と黄巾賊

 

例えば、青州黄巾賊(せいしゅうこうきんぞく)青州(せいしゅう)兗州(えんしゅう)を荒らしまわっていました。

 

黒山賊

 

また張燕(ちょうえん
)
率いる黒山衆は100万と言われる大軍を集め、後漢王朝(ごかんおうちょう)すら手が出せないほど強大な勢力を持っていました。

そして今回紹介するのは黒山衆に属していた賊徒・于毒(うどく)を紹介したいと思います。

 

自称・皇帝
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曹操に戦いを挑む于毒

于毒(うどく)

 

于毒は賊徒仲間を集めて大軍を終結させると、袁紹(えんしょう)の領土である魏郡(ぎぐん)で暴れまわります。その後于毒は魏郡で暴れまわるのに疲れたのでしょうか。それとも魏郡で略奪しまくってめぼしいものを奪いつくしたのでしょうか。

 

于毒は10万の軍勢を率いて魏郡から南下して兗州の東郡を攻撃。東郡を守っていた王さんは于毒の攻撃を防ぎきることができず、「う~毒め!!」と言って逃走してしまいます。こうして于毒は東郡を攻略することに成功。

 

曹操

 

しかし彼を討伐するべく新たな軍勢が東郡へやってきます。于毒討伐の軍勢を率いているのは若き日の曹操(そうそう)でした。

 


 

于毒vs曹操どっちが勝ったの??

曹操と対峙する于毒(うどく)

 

曹操は于毒軍がやってくると東郡へ入り、于毒の賊徒仲間を攻撃して撃破します。于毒は曹操の攻撃で仲間を撃破された事を聞いて、曹操が政庁を置いた東武陽(とうぶやう)へ向けて出陣。曹操は于毒が東武陽へ出陣した事を聞くと、彼らの本拠地へ向けて出陣させます。

 

曹操

 

于毒は曹操が本拠地へ向けて出陣した事を聞いて、慌てて東武陽から引き返して本拠地へ向かっていきます。于毒は慌てて引き返した為、軍勢を整えなかったため、曹操軍の攻撃を受けて敗退。こうして于毒vs曹操の戦いは曹操の勝利で幕を閉じることになります。

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳


 

公孫瓚と袁紹が戦っている隙をつく于毒

公孫サン(公孫瓚)

 

于毒は曹操に敗北した後、潜伏して力を蓄えます。于毒は力を蓄えている頃、公孫瓚(こうそんさん)と袁紹が界橋で激闘を繰り広げている事を知ります。更に于毒は鄴郡で反乱が発生した事を知ると、反乱軍と協力して鄴城を攻撃。こうして鄴城は反乱軍と于毒の軍勢によって奪われてしまいます。

 

公孫瓚を倒した袁紹

 

袁紹は公孫サンとの戦いに勝利し、諸将と宴会を催している時に鄴城が反乱軍や于毒に奪われた事を知り「う~毒と反乱軍め!許すまじ」と凄まじい形相で激怒したそうです。


  

 

 

「袁紹vs于毒」戦いの結果は…

袁紹

 

于毒は鄴城を攻略した後、鄴城に留まることなく本拠地の鹿場山の蒼厳谷という所へ帰還します。袁紹は鄴城を奪い返すため帰還している途中、于毒が蒼厳谷へ戻っている事を知ると、軍勢を蒼厳谷へ向かわせます。

 

于毒は袁紹軍がやってくる事をしると蒼厳谷へ籠城。こうして于毒vs袁紹の戦いが開始します。

しかし于毒の軍勢は蒼厳谷に兵糧をあまり集めていなかった事と正規軍と賊軍の練度の違いが出てしまったのでしょう。

 

袁紹

 

于毒は袁紹軍が包囲して五日後の総攻撃に耐えられず、討ち死にしてしまうのでした。こうして于毒vs袁紹の戦いも于毒の敗北で終わってしまうのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

于毒は袁紹に敗北し討ち死にしてしまいます。袁紹は于毒を討ち取った後、北上して黒山衆の賊徒たちを次々と討ち取り、黒山衆の軍勢を打ち破ります。

 

次第に巨大化していく黒山賊と張燕3

 

その結果、黒山衆は多くの賊徒の棟梁と兵士を失い、壊滅的なダメージを受けてしまうのでした。いくら黒山衆が正規軍よりも練度が劣っているとしても、界橋の戦い(かいきょうのたたかい)で疲弊している袁紹軍にここまでボロボロにされたのはどうしてでしょうか。

 

呂布のラストウォー 呂布

 

その原因はいくつかあると思いますが、一つ考えられることは袁紹が黒山衆を攻撃している時、呂布(りょふ)も攻撃に参加した為だと思われます。

 

呂布、黒山賊

 

呂布の軍勢はすさまじく強く、呂布と成廉、魏越の軍勢が黒山衆へ突撃を何度も行ったせいで、多くの黒山衆に被害を与えたと正史三国志呂布伝に記載されています。

 

呂布に敗れる張燕

 

そのため袁紹の黒山衆討伐戦に呂布が参加した事が、黒山衆の壊滅的なダメージを受けた原因の一つとして数えることが出来るでしょう。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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