成廉(せいれん)と魏越(ぎえつ)とはどんな人?呂布が強いのは俺達がいてこそ!


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主役が輝くのは魅力的な脇役がいてこそと言えるでしょう。

例えば、タイムボカンシリーズの三人組、ドロンジョ様におけるところの、

ボヤッキー、&トンズラー、水戸黄門における助さん、格さんのように、

脇役の存在が、主役を引き立てる結果になるのです。

さて、そんな脇役、人中の呂布と言われた呂布(りょふ)にもいたります。

一見、たった一人で天下無双に見える呂布ですが、そのちょっと後ろでは、

呂布を目立たせるべく奮闘した成廉(せいれん)魏越(ぎえつ)がいたのです。

 

 

ところで袁術祭りや、朝まで三国志、はじめてのストライキなど、

中の人がやたら目立ちたがる、我がはじめての三国志は、

信じられない事に2017年1月で95万PVに到達しました。

これもおバカな事に付き合ってくれた読者ちゃんのお陰です。

100万PVまで、もう少し、これからも応援よろしくね。

 

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将軍の背後は、任せとけ、成廉と魏越!

 

成廉と魏越には、単独の伝はありません、しかし、後漢書、呂布伝、

三国志 魏書 呂布伝、武帝紀(ぶていき)などにポツポツと登場しています。

呂布の配下には、張遼(ちょうりょう)高順(こうじゅん)もいますが、

彼等はどちらかと言うと、単体で呂布にくっついている印象を受けます。

 

それに比較すると、成廉と魏越は、ボディーガードのようであり、

グラディウスの自機の周辺をくるくる回るバリアのように、

絶えず呂布に付き従っている感じなのです。


呂布の武勇を轟かせた黒山賊の討伐

 

呂布の名を高めた戦いは、幾つかありますが、その派手さにおいて、

他の追従を許さないのが、黒山賊(こくざんぞく)百万に戦いを挑んで、

これを解散させてしまったという戦いぶりでしょう。

 

長安を追われて、各地の諸侯の間を流れていた呂布は袁紹(えんしょう)

世話になった時、袁紹が手を焼いていた黒山賊の討伐を命じられます。

黒山賊は張燕(ちょうえん)が大将で、号して百万の大軍、騎兵も数千騎擁し

勢い盛んで傍若無人でした。

 

 

しかし、呂布はこれを鼻で笑い、僅か数十騎で奇襲をかけて、

何度も黒山賊を打ち破り、その度に数十もの賊の首を持って帰ります。

これが十数日も続いたので、とうとう黒山賊は恐れをなし自壊してしまい

消滅してしまったのです。

 

呂布は赤兎馬を駆り、塹壕を越え、疾風のように戦場を駆け、

人中の呂布、馬中の赤兎というニックネームがつけられました。

 

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黒山賊との戦いでは、成廉と魏越が側についていた

 

しかし、この黒山賊との戦いは、呂布一人の手柄ではありません。

その呂布にぴったりとくっついた成廉と魏越がいればこその、

手柄だったと言えるのです。

 

三国志魏志、呂布伝にはしっかりと二人の名前が出てきます。

 

布有良馬曰赤兔 常與其親近 成廉魏越等 陷鋒突陳 遂破燕軍

翻訳:呂布に名馬あり、赤兎と言う、常に付従う親衛の成廉と魏越があり

敵陣を突き破り陥落させ、ついに張燕の軍を破る。

 

このように、この両名は呂布に近しい親衛として活躍しているのです。

ですが、この中で魏越は以後、名前が出てこなくなります。

或いは、この戦いで負傷し離脱したか戦死したかもしれません。


  

 

もう一人の将、成廉は曹操に捕えられる

 

一方の成廉は、その後も生き残りますが、西暦198年、下邳において、

呂布が曹操(そうそう)と戦った時に破れ、曹操に捕らわれてしまいます。

以後、名前が出てこない事から、降伏を拒否して処刑されたのでしょう。

呂布の親衛という位ですから曹操に降伏していれば、名前を史書に

残すのが充分可能な程の武勇はあったと思います。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

呂布の配下には縁戚関係の魏続(ぎぞく)がいて彼が曹操に内応した事が、

呂布が敗北して曹操に捕まる直接の理由になりますが、

或いは、魏越は、この魏続の血縁だったのかも知れません。

この魏続ですが、曹操に降伏した割に、その後の消息が不明です。

 

或いは、主君を裏切る者を信用できるかという曹操の判断で、

処刑されてしまったかも知れません。

 

成廉にせよ、魏越にせよ、史書には驍(ぎょう)将、健(けん)将と

冠があり大変に勇敢な武将だったようです。

呂布が長安を脱出した時、付従う騎兵は数百だったそうですが、

おそらく呂布が鍛え上げた直属であり、放浪の時期に呂布が強さを発揮したのは

或いは、彼等のお陰かも知れません。

 

成廉も魏越もそんな呂布の手足のような騎兵達の一人だった、

そういう事かも知れませんね。

 

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