劉備は蜀(221年~263年)の初代皇帝です。史書では先主や昭烈皇帝と言いますが、劉備が有名なので、この記事では劉備で通します。
劉備は中平元年(184年)の黄巾の乱に参加したことにより、名前を知られるようになります。
しかし、この時期の劉備はあまり詳細な史料が残っていないのが現状です。
そこで今回は『三国志演義』や『横山光輝 三国志』に重点を絞って黄巾の乱時期の劉備について解説します。
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劉備と劉焉との出会いは実は・・・・・・
『三国志演義』によると劉備は最初、黄巾賊討伐のために義勇軍を率いて幽州太守の劉焉のもとに行きます。これは横山光輝氏の『三国志』を読んだ読者なら記憶にしているはずです。
劉焉は後に劉備が討伐する劉璋の父です。劉備はここで劉焉の兵士と一緒に出陣して手柄を立てることになります。
だが、これは『三国志演義』の創作です。
そもそも劉焉が幽州の太守をしていた話は正史『三国志』には記載されていません。どうして、このような創作がされたのでしょうか。それは劉備が後年に蜀を劉璋から奪うという読者に対しての伏線だったのです。
見ごたえのある アニメ『横山光輝 三国志』
黄巾の乱は史料も少ないので、ドラマでは省くことが激しい部分です。しかし、黄巾の乱を詳細に扱ったテレビ作品を筆者は知っています。
アニメ『横山光輝 三国志』です。
このアニメは黄巾の乱の話だけで3話も扱っている非常に珍しいスタイルの番組です。
張角の弟の張宝の妖術に苦戦していた時は、劉備自らが策を練って破り、張宝も劉備が一騎打ちで破ります。この点は横山氏のオリジナルストーリーとなっていますが、興味のある方は鑑賞してみてください。
安喜県の県尉となる劉備
黄巾の乱終了後に劉備は恩賞として安喜県の県尉に任命されます。この点は『三国志演義』も一緒です。安喜県の県尉は現在で言う警察署長のレベルです。これまでの無職同然の身分に比べれば、まともな職です。ところが劉備はこの職をすぐに放棄します。ある日、督郵が来ました。
督郵とは名前ではなく、郡の監察役人の呼称です。劉備は督郵に面会を求めるも拒否されてしまいます。2人の間に何があったのかは不明です。劉備が礼儀作法を分かっていなかったとは考えにくいです。
劉備は盧植のもとで学んでいるので、世間の一般常識ぐらいは分かっているはずです。『三国志演義』では督郵が劉備を馬鹿にしたり、賄賂を要求したり様々な誇張がされています。
怒った劉備は督郵に殴り込みをかけて県尉をやめてしまいます。ちなみに『三国志演義』では張飛がやったことになっています。
そもそも資金源はどこだ?
ところで劉備は黄巾賊平定の時にお金を出してくれたのは誰でしょうか?実は中山の張平世と蘇双という商人が出してくれました。
2人は劉備が普通じゃないと思ったのでタダで提供してくれました。
どこが普通じゃないと思ったのか分かりませんが、劉備はくれたのでもらったようです。疑問視するのは、この話が本当かどうかです。なぜかと言うと、この当時の劉備は24歳です。
24歳の若僧に、ベテラン商人が「どうぞ」と軍資金をタダで渡すと思いますか。そもそも何を期待して提供したのかも不明です。結局劉備はそのまま黄巾の乱平定に出発していますし、後年に2人にお礼をした形跡がどこにもありません。
また、正史『三国志』に注をたくさん付けている裴松之でさえも、この点にはノーコメントです。たぶん、本当に調べる史料が無かったのでしょう。
ちなみに中国文学者の高島俊夫氏は、劉備が子分と一緒に張平世を脅迫して金を奪ったと推測しています。
三国志ライター 晃の独り言
以上、黄巾の乱時期の劉備に関しての記事でした。アニメ『横山光輝 三国志』では劉備が黄巾賊の張宝を一騎打ちで破ることは先述しました。李志清という香港の漫画家が執筆した『三国志』では、全く同じ設定になっています。
おそらく影響を受けたと考えられます。
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