【三国志長者番付】知られざる大金持ちは誰?

2019年8月8日


 

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まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

皆さんは、三国志の登場人物で一番の大金持ちが誰か知っていますか?

そう言われるとよく分らないという人が大半だと思います。

 

 

陳寿(晋)

 

 

これは無理もない事で、陳寿(ちんじゅ)の三国志にはその時代のお金持ちについて述べた貨殖(かしょく)列伝がなく、お金持ちに焦点が当たっていないからです。そこで、はじめての三国志では正史三国志から知られざる三国志の金持ちを調べ特集してみました。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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好きな事やって遊んで暮らしていた金持ち魯粛

魯粛

 

 

三国志のお金持ちのトップバッターは三国時代の陰の立役者魯粛(ろしゅく)です。正史呉書魯粛伝によると、魯粛の生家は家富於財、つまり財産に富んでいて、家は施しを好んでいたとされています。

 

 

水滸伝って何? 書類や本

 

 

魯粛は早いうちに父を失い祖母と同居していましたが、成長しても家業に身を入れず、合戦の模擬訓練に熱中し(呉書)壮士と交際し、田地を売り払っては施して(むら)の人心を得る事に余念がありませんでした。

 

その後、居巣(きょそう)県長として魯粛の元を訪れた周瑜(しゅうゆ)が食糧の援助を請うと、二つもっていた食糧庫の一つをポンと与えて、周瑜の心を掴んでいます。

 

 

魯粛と周瑜

 

魯粛自身の能力も凄いですが、合戦の稽古三昧でひたすら施し続けた魯家の財力もその能力にプラスアルファしたであろうことは想像に難くありません。鷹揚(おうよう)な性格も「俺ァ金もってんだぁ」という経済的余裕から来たのでしょう。

 

 

曹操より資産を持っていた金持ち曹洪

 

 

曹操が董卓(とうたく)軍の武将、徐栄(じょえい)と戦い滎陽(けいよう)で一敗地に見舞われた時、乱戦で馬を失った曹操に自分の馬を与え窮地(きゅうち)を救ったのが曹洪(そうこう)です。この曹洪、曹丕の借金の申し入れを断った事でケチとしては有名ですが、実際には曹洪の伯父の曹鼎は尚書令を勤め、曹洪もそのツテで蘄春長に任命されたと魏書にあり、富裕な家として知られていました。

 

ブチ切れる曹操

 

 

曹操は司空(しくう)に任命されると、天下に範を示す為に毎年、(しょう)県の県令に自分の資産を調べさせて公表していました。その時、県令が曹操の資産を曹洪と同じ位だと報告すると、曹操は「嘘つけ!わしの財産が曹洪と同じのわけはない」と言っています。

 

司空だった曹操より資産を持っていた曹洪ですが、曹丕に借金を申し込まれて断った経緯を見ると、当時流行していた金融業もやっていたように思えます。

 

三国志とお金の話

 

 

劉備のキャッシュディスペンサー 麋竺

麋竺と劉備

 

麋竺(びじく)は三国志では地味な存在ですが、徐州で代々貨殖(かしょく)(商業)を営む大商人で使っている奴僕(ぬぼく)は一万人、資産は巨億だったと正史三国志に記録されています。

 

劉備は徐州牧を陶謙(とうけん)に譲られたものの、呂布(りょふ)を信じたばかりに(そむ)かれ妻子を人質に取られて呂布に詫びを入れて家来になります。この時の劉備の貧乏ぶりは悲惨なもので、麋竺はこれを見かねて奴客二千人と金銀貨幣を与えて、劉備を支えました。また、麋竺の妹は劉備に嫁いでいるので劉備と麋竺は義理の兄弟です。

 

劉備と呂布

 

 

この金と人員で兵力を盛り返した劉備は、再度呂布に挑もうとします。しかし、寸前で蜂起はバレて失敗、呂布に蹴散らされて曹操の元に逃げ込んで何とか九死に一生を得ました。

 

 

 

あまり義理難いとは言えない劉備ですが、苦しい時に救ってくれた麋竺の恩義を忘れず、麋竺は一度も戦の手柄はないものの、上客の待遇で大事にされ、賞賜(しょうし)恩寵(おんちょう)で並ぶものはいなかったのです。

 

 

呂布の万の軍勢に牛肉と酒とパンを振る舞った李乾

李典

 

 

李乾(りかん)は魏の名将、李典(りてん)の従父で侠気に富んでおり賓客数千家を糾合し乗氏(じょうし)に割拠、後に曹操に帰順した人物です。宋代に完成した太平御覧(たいへいぎょらん)という書物に引く英雄記の記述によると、興平元年(194年)の事、李乾の割拠する乗氏を軍勢が通りすがりました。これは、曹操の徐州遠征中に陳宮が引き込んだ呂布の軍勢だったのです。

 

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

 

曹操サイドの李乾は、呂布の兵が乗氏で暴れるのを防ぐ為に牛を数頭潰し酒を数十石(1.5トン)、そして一万枚の胡餅(パン)を焼いて、大宴会を開き大判振る舞いしたという記録があります。

 

牛に乗って登場する光武帝(劉秀)

 

 

宴会が何日続いたか分かりませんが、万余にはなりそうな呂布の兵に大量の牛肉とパンと酒を用意するのは並みの財力では出来ません。ここまでした李乾ですが、結局、兗州別駕の薛蘭(せつらん)や兗州治中の李封(りふう)から曹操に叛くように誘われたのを拒否したので殺されてしまいました。

 

 

元祖一億銭男、曹嵩

曹嵩

 

 

曹嵩(そうすう)は、覇王曹操の父です。大宦官の曹騰の養子として家を継ぎますが、その際、莫大な財産も継いだようです。曹騰が死んで、曹嵩が家を継いだ時に賓客が、「あなたが今日あるのは、まさに曹常侍(そうじょうじ)のお陰」と語っている記録が残っています。曹嵩自身には、性格が慎ましく温厚以外に何の取り柄もないようなので、賓客の言葉は、まさに真実だったのでしょう。

 

後漢書の宦者(かんじゃ)列伝では、霊帝期に一億銭という大金をはたいて三公の一つ大尉(たいい)の地位を買い取りました。元祖、一億銭男とも言えますね。

 

宋銭 お金と紙幣

 

 

しかし、史実では積極的に息子の曹操を援助した様子はないようで曹操が反董卓軍に参加する時も、すでに曹嵩は徐州琅邪郡(じょしゅうろうやぐん)に避難しているのでおそらく曹操は自分の財産を処分して兵を集めたっぽいです。魏晋世語(ぎしんせご)では、曹操に挙兵の資金を貸したのは衛茲(えいじ)になっています。これが本当なら、大金持ちの癖に息子の一大決心に金を出さない随分冷淡(ずいぶんれいたん)な曹嵩の姿が浮かび上がってきますね。

 

 

武器も防具もキンキラキン賀斉

 

 

(がさい)会稽山陰(かいけいさんいん)の人で若くして郡吏になり(えん)県長になっています。このパターンは地方豪族に顕著なので、調べてみるとやはり、伯父の慶純(けいじゅん)が安帝期に侍中、江夏太守になっています。その後、賀斉は孫策に仕えて山越賊の平定に活躍しています。

 

この賀斉の金持ちエピソードが出るのは、西暦222年の洞浦の戦いです。

 

水軍を率いていた賀斉の軍は、豪勢を極めた装備をしていて、兜や鎧や器械は最上を極め、乗船には彫刻を施して丹朱を散りばめカラフルな幔幕(まんまく)を巡らし、大小の盾や戈矛には華花紋様(かかもんよう)を尽し、弓弩(きゅうど)矢箭(やせん)にも贅沢な木材を使い、蒙衝(もうしょう)闘艦(とうかん)を飾り立て山のようだった。みたいな記録が正史三国志呉書賀斉伝にあります。

 

イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍船

 

 

これだけの装備を整えるのは、莫大な資金が必要なので賀斉は大金持ちだった可能性が高いでしょう。そのあまりに豪勢な軍勢に曹休は恐れを為して撤退したとも言われるので賀斉のキンキラ趣味は成金なばかりではなく実益もあったのです。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

今回は、三国志の大金持ちについて、特集してみました。この中で一、二を争う大金持ちは、やはり曹嵩か麋竺でしょうね。実力で大金持ちになった点を考えると、やはり麋竺が一番かな、しかし、劉備はこんな大金持ちを配下に持って幸運でしたね。読者の皆さんは、三国志一の金持ちは誰だと思いますか?

 

参考:正史三国志 後漢書宦者列伝

 

 

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呂布

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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