こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
諸葛亮の北伐
死の間際、劉備は息子の劉禅(りゅうぜん)のことを諸葛亮に託します。しかし、もし臣下として仕えるのにふさわしい人間でなかったなら、お前が代わりに蜀の皇帝となれという言葉を残します。
しかし、諸葛亮は丞相として劉禅と蜀をたすけるため、曹叡(そうえい)の代となった魏の北伐を決行するという出師の表(すいしのひょう)を宣言します。
彼の前に立ちふさがったのが、ライバルとなる司馬懿でした。
お互いの智謀を出し尽くして一進一退の戦いを続けますが、過労がたたり、諸葛亮は五丈原で病没。
北伐も失敗に終わります。
晋の中華統一
さらに魏は盤石の体制になるかと思われましたが、曹叡が死去し、幼い曹芳(そうぼう)が皇帝になると、司馬懿はクーデターを起こして政敵の曹爽(そうそう)を弾劾し、実権を掌握。
蜀を滅ぼした司馬一族は、司馬懿の孫の司馬炎(しばえん)が魏に代わって晋を建国。
孫皓(そうこう)が皇帝となっていた呉も司馬炎に滅ぼされ、280年に中国大陸の統一が完成したのでした。
三国志ライターたまっこの独り言
三国志演義は創作が織り交ざっている分、強烈な個性の武将が次々登場し、飽きるところがありません。
まるで神話みたいだな、と強く感じます。そしてベタですが、私はやっぱり蜀が好きです。
関連記事:三国志演義が今どき嫌われる理由
関連記事:三国志演義の翻訳本比較してみた!どれを読めばいいの?