諸葛亮は苦手な兵法を克服していた!


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挑発する諸葛亮孔明

 

天才的な才能を持った蜀の丞相・諸葛亮(しょかつりょう)

三国志演義では諸葛亮が北伐戦をした際、司馬懿(しばい)に追い詰められた事がありました。

 

城の前を掃除する孔明

 

この時諸葛亮は「空城の計(城内に伏兵を潜める計略)」を用いて司馬懿が城へ攻撃してくることを防いでいます。また諸葛亮は司馬懿を谷へ誘い込み、火計を用いて大勝利を得た事もあります。

 

このように三国志演義の諸葛亮は兵術や戦術に優れた人物ですが、正史三国志でも軍事で優れた功績を残したのでしょうか。

 

自称・皇帝
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そもそも兵法って何?

孔明

 

ネットで調べてみると「兵法」とは兵術や戦術などの方法。戦の仕方などの意味を持つ言葉だそうです。

 

孫子の兵法 曹操

 

三国時代の英雄・曹操(そうそう)は戦術の教科書として名高い「孫子の兵法書」を読んで戦の勉強をしていたそうです。三国志に登場する多くの軍師や将軍達は色々な兵法書を読んだり、実地で戦術などを学んで、戦の勉強をしていました。

 

ですが、そもそも兵法とは一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。「兵法」の意味を知った所で、諸葛亮が兵術や戦術などの意味を持つ「兵法」を得意としていた人物だったのかご紹介していきたいと思います。


蜀の丞相に就任する孔明

蜀の皇帝に即位した劉備

 

蜀は劉備(りゅうび)が魏に対抗するため、益州で建国した国家です。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

ですが、劉備は夷陵の戦いの後、病を患ってしまい亡くなってしまいます。

 

劉禅と孔明

 

その後蜀の皇帝には劉備の息子・劉禅(りゅうぜん)が就任。そして劉禅を補佐すべく丞相の位に就いたのは、劉備の軍師として活躍した諸葛亮です。

 

孔明君のジャングル探検

 

諸葛亮は丞相の位につくと夷陵の戦いで敗北して、疲弊していた蜀の国を立て直すべく農業政策や南蛮征伐などをして、国力増強に努めます。その結果、蜀の国は夷陵の戦いで疲弊した国力を回復することに成功。その後諸葛亮は軍を率いて魏を討伐するべく、北伐をします。


北伐戦の成果は?

北伐でやりあう曹叡vs孔明

 

諸葛亮は五丈原で亡くなるまで、魏を討伐する事を目標とした北伐戦を5回行っています。その中で成功したのは第三次北伐戦のみで、他の四回の北伐戦はあまり大きな成果を得られませんでした。

 

山頂に陣を敷いた馬謖

 

第一北伐戦で諸葛亮は兵術に優れた知識を持っていた馬謖(ばしょく)を起用して街亭を守らせます。ですが、馬謖は街亭を守れず、敗北してしまいます。街亭が敗北したため、第一次北伐戦は失敗に終わってしまいます。

 

魏延と孔明

 

諸葛亮は北伐途上にある陳倉城を攻略するべく、第二次北伐戦を開始。この北伐戦は陳倉城を攻略する蜀軍の兵力が多く、陳倉城の兵力は少数にもかかわらず、蜀軍は陳倉城を攻略で着ませんでした。こうして陳倉城攻略作戦も失敗に終わってしまいます。


第四次・第五次も失敗

韓信vs孔明

 

諸葛亮は第一次・第二次北伐戦が失敗後もめげずに魏を討伐するための北伐戦を継続。第四次北伐戦は諸葛亮率いる蜀軍が祁山へ進出。魏は司馬懿を総大将として蜀軍迎撃の軍勢を出陣させます。

 

孔明と司馬懿

 

司馬懿は蜀軍に負けないように砦を作って守りに徹することにします。ですが、司馬懿は諸将から「なぜ出撃しないのです。そんなに蜀軍が恐ろしいのですか」と煽られた為、蜀軍と対決するべく出陣。諸葛亮は司馬懿率いる魏軍を迎撃。

 

孔明

 

諸葛亮率いる蜀軍は魏軍をさんざんに打ち破ることに成功し、武器・甲冑などを戦利品として大量に獲得。ですが、これ以降両軍は戦うことなくにらみ合いが続き、食料が無くなったため、蜀軍が撤退する事になります。

 

孔明

 

第五次北伐戦は両軍とも大きな戦いを起こすことなく、にらみ合いが続くことになりますが、諸葛亮が病で亡くなってしまった為、蜀軍が撤退することになり、失敗に終わってしまうのでした。

 

兵法を克服していた蜀の丞相

北伐する孔明

 

第一次・第二次と北伐戦に失敗していた諸葛亮。ですが、第三次・第四次・第五次と北伐戦を重ねるごとに戦術面の苦手を克服してきたと考えられます。その証左に第一次・第二次北伐戦は蜀軍の敗北で撤退していますが、第二次北伐戦以降、蜀軍が魏軍に敗北したわけではありません。

 

司馬懿と諸葛亮孔明のトランプ勝負

 

このことから諸葛亮が敗北を重ねながらも少しずつ、苦手な兵法を克服していったと思われます。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

諸葛亮は苦手な兵法を少しずつ、克服していくことに成功していました。

 

歳をとっても元気な孔明

 

もし諸葛亮が五丈原で倒れることなく、もう少し長生きしていれば、苦手な戦を完全に克服し、魏軍に連戦連勝できたかもしれません。諸葛亮が苦手な戦を得意とすれば、彼が目指していた楽毅や管仲に匹敵する人になれたかもしれませんね。

 

■参考文献 岩波新書 諸葛孔明 三国志の英雄たちなど

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

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