諸葛亮は劉備を支え、三国の一角である蜀の建国に成功します。
諸葛亮は劉備死後、二代目皇帝・劉禅政権下で丞相として蜀を支えていきます。
諸葛亮は丞相として政治・軍事のトップとして活躍していきますが、彼に欠点があったのか紹介していきたいと思います。
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高い評価をされた人物
正史三国志の作者・陳寿。彼は正史三国志で諸葛亮へ高い評価を与えています。
陳寿は「諸葛亮は丞相に就任すると、民衆を愛しその時々に必要な政策を実行し、公正な政治をします。
そのため諸葛亮が厳正な法治政治をしたにもかかわらず、民衆は誰一人として彼を恨まず、古の宰相として名高い斉の管仲・前漢の蕭何に匹敵する人物と言っても過言ではない」と高い評価を与えています。
また魏の総司令官として諸葛亮と何度も対峙した司馬懿も「諸葛亮は天下の奇才」であると高評価。
更に晋の初代皇帝として君臨した司馬炎も「私の補佐として諸葛亮が居れば、苦労しないで天下統一できただろう」と評価しています。このように諸葛亮は三国志に登場する有名な人物や歴史家から高い評価を得て、欠点と呼ばれる部分が無いように思えます。
そのためもう少し色々な書物を調べてみました。
諸葛亮の欠点:戦の才能に乏しい
様々な人物から高い評価を得ていた諸葛亮ですが、彼の足りない部分について述べている書物を発見しました。
まずは正史三国志の作者・陳寿からです。
陳寿は上記で諸葛亮へ高い評価をしていました。
ですが、その後に下記のような欠点を付け加えています。陳寿は「魏を討伐するため、何度も出撃しているが、成功できなかったのは、彼が戦術や戦略面を不得手としていたからだろう」と諸葛亮の欠点を述べています。
陳寿の評価の通り、諸葛亮は魏を討伐する北伐戦で、成功を収めることができず(魏軍との局地的な戦では何度か勝利を得ているが)、亡くなっています。
そのため諸葛亮の欠点は戦を運用する術策が苦手だったことがうかがえます。
更にこの陳寿の言葉を裏付ける言葉を諸葛亮と対峙していた司馬懿が述べています。
司馬懿は五丈原で諸葛亮と対峙している際、弟・司馬孚へ「諸葛孔明は大望を抱いているが気を見る目が無く、謀略を好む人物だが、決断力にかけ、戦を好んで行うも臨機応変の才能が欠如している。
この戦は100日もしないで我らの勝利で終わることになるだろう」と手紙を送っています。
この司馬懿の言葉通り、諸葛亮の死によって蜀軍は退却することになりますが、司馬懿も諸葛亮に戦の才能が無い事を見破っていました。
これらの事から諸葛亮の欠点は戦の才能に乏しいと言えると思います。
孔明の欠点:人に仕事を任せない
諸葛亮の欠点はもう一つあります。それは仕事を部下に任せないで、すべて自分で行ってしまう所です。
正史三国志によれば諸葛亮の使者が司馬懿の陣営を訪れた際、司馬懿が使者へ「諸葛亮は毎日どのように過ごしているのか」と質問したことがありました。すると使者は「諸葛亮様は公務多忙で朝早く起きて、夜遅くまで仕事をしています。仕事の内容は鞭打ち20以上の罪にあたる事件を決裁しています」と答えたそうです。
他にも蜀の丞相主簿の楊顒と言う人物は諸葛亮が金銭や穀物の出納帳のチェックをしている所を発見。楊顒は諸葛亮へ「あなたはどうして仕事をすべて自分でかたずけようとするのか。任せるべき所は部下に任せるべきだ。
出ないと疲労困憊してしまい、大事な所で力を出すことができなくなってしまいまずぞ」と注意をしています。このことから諸葛亮は仕事を他人へ任せないですべて自分でかたずけてしまう点が欠点と言える部分だと言えるでしょう。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は諸葛亮の欠点について紹介しました。三国志演義の諸葛亮は何でもできる天才でした。ですが、史実の諸葛亮は何でもできる天才ではなく、いくつか欠点のある人間らしい部分をもって人だったのです。
こうしてみると諸葛亮の欠点は現代人の私たちにも当てはまること部分があり、親しみやすさを覚えた方もいるのではないでしょうか。
■参考文献 岩波新書「諸葛孔明」三国志の英雄たち
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