曹操が関羽や劉備に振る舞った熱燗の道具を考える


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酒を飲む曹操、劉備、孫権

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)には、酒の場面が何度か出てきます。

 

曹操

 

その中でも印象的なのは、熱燗(あつかん)が出てくる第二十一回「曹操(そうそう)酒を煮て英雄を論じ、関公(かんこう)城を(あざむ)きとって車胄(しゃちゅう)を斬る」

そして、第五回「(いつわり)(みことのり)を発すれば、諸鎮曹公(しょちんそうこう)に応じ関の兵を破りて三英呂布(りょふ)と戦う」

この二つではないかと思います。

今回はドラマに花を添えた小道具熱燗(あつかん)について考えてみます。

 

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関羽の酒はまだ暖かかった

酔っ払う関羽

 

三国志演義の第五回は、序盤で関羽の大活躍が描かれます。

その部分の(くだり)はこのように説明されていました。

 

曹操は燗をさせた一杯の酒をつがせ、関公に、飲んだ上で馬に乗れと言ったが

関公は「酒は、まずついでおいて下されい、それがし、すぐに戻ってまいりましょう」

と幕を出るや、なぎなたをひっさげ、身を(おど)らせて馬に乗った。

諸侯らは、関の外に太鼓の音、大いにふるい、ときの声大いに上って、

天くだけ地くずれ、山岳もゆるがんばかりであったから、みなみな驚き恐れて、

様子を聞かせようとした時、すずの音の響きも高く、馬は中軍に駆けてきて

雲長は華雄(かゆう)の首をひっさげ、地上に投げつけたが酒はまだ暖かだった。

 

岩波文庫完訳三国志 小川環樹・金田純一郎訳

 

ここで、曹操(そうそう)は関羽に燗をしたお酒を勧めています。

汜水関(しすいかん)の戦い自体は三国志演義のフィクションですが、正史の三国志では反董卓連合軍が結成されたのは西暦190年の正月なので寒いのです。

だから、曹操は普通の酒ではなく燗をつけた酒を勧めたのでしょう。

 

関羽 男だち

 

それにしても、三国志演義では、関羽と華雄の具体的な戦いのシーンはありません。

まるでドラゴンボールのz戦士同士の戦いのように天が砕けて地は崩れ、山々は振動、諸侯は何が起きているのかと驚き、

伝令を出そうとすると関羽が戻ってきて華雄の首を地上に投げつけ(ひどい!)るのです。

 

強くなる関羽

 

これは、関羽の超人的な強さを読者に想像させようとする工夫だと思います。

しかも、それがほんの束の間に起きた事を知らせる為に、燗酒はまだ暖かかった事を追記しています。

関羽の秒殺の凄さは熱燗ではないと表現できないわけです。


史実にも描写がある酒を煮て英雄を論ず

酒を飲む曹操と劉備

 

三国志演義第二十一回、曹操酒を煮て英雄を論じ、関公城を賺きとって車胄を斬るでも、冒頭で、曹操が劉備を青梅を愛でながら酒でも飲もう誘うシーンがあります。すでにその頃、董承の曹操暗殺計画に一枚噛んでいたので、曹操に呼び出されて内心冷や汗をかきましたが、ただ酒を飲むだけと聞いてノコノコと出かけます。

劉備と酒を交わす曹操

 

ここで劉備は酒を飲み、飯を食いながら、曹操と英雄談義をやり、

「この世で英雄と呼べるのは、君と余だけだ」と曹操に言われて箸を落とし雷鳴のせいで落としたと言い訳するのです。

タイトルには、酒を煮て英雄を論じるとありますが酒を煮ている描写はありません。

 

ただ、この酒を煮て英雄を論ずは、元ネタが正史三国志の先主伝にあります。

 

劉備が出立する以前、献帝の舅の車騎将軍董承(とうしょう)が言うには、帝の帯の中に密詔(みっちょく)を縫い付けて曹操を誅殺するようにと

先主は(いま)だに行動を起さなかった。

この時、曹操が、のんびりとした様子で劉備に言うには

「現在、天下に英雄はただ使君と操だけだ。袁紹のような輩は数える必要もない」

先主は食べようとしており匕箸(はし)を取り落とした。

 

ここには、酒の事は何も書いていませんが、当時は食事の後に酒が出たので劉備はまだ酔っていなかったのでしょう。

 

董承

 

では、どうして三国志演義では、この故事が酒を煮て英雄を論ずなのかそれは、董承(とうしょう)の曹操暗殺計画が西暦200年の正月に発覚したからです。

 

董承、曹操

 

劉備は間一髪で自ら袁術討伐を献帝に願い出て誅殺(ちゅうさつ)を免れているので曹操との酒宴は真冬であり、酒は燗にする、つまり煮る必要がありました。

 

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三国志展にも登場した熱燗の道具鐎

 

第五回にしても、第二十一回にしても酒を燗にする描写は三国志演義だけですが、史実の三国志の時代には熱燗というのはあったのでしょうか?

実は熱燗の容器は青銅製で(しょう)と言い、紀元前6世紀には登場していました。三国志展にも蜀の遺物として登場しています。

 

鐎は三本足で取っ手つきの道具であり、酒を煮たり茶や薬草汁を作るのに使用されたそうです。デザインを見ても楕円形にピッタリとハマる蓋がついていて、21世紀から見ても、なかなか洗練されてモダンな雰囲気です。

 

熱燗の存在については、西晋の政治家で地理学者の裴秀(はいしゅう)が有名な五石散(ごせきさん)を飲んだ後で誤って熱燗ではなく冷酒を飲んでしまい、

体温が乱高下を繰り返して治療の甲斐なく死んだという記述が晋書にあります。

何晏

 

西晋から三国志の時代は、それほど(へだ)たっていないので、熱燗も三国志の頃から存在した事でしょう。

そして、冬の寒い日には炭炉で鐎の中身の酒を沸かして燗にして飲んでいたのだろうと推測します。


三国志ライターkawausoの独り言

 

今回は三国志演義の中でもとりわけ有名な場面で登場する熱燗について調べて書いてみました。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

三国志演義は、正史三国志を下敷きにしたフィクションありの物語ですが汜水関の戦いも酒を煮て英雄を論ずも日時については割合、正史を調べて書いているのだなと思いました。

 

参考文献:岩波文庫完訳三国志 小川環樹・金田純一郎訳

 

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