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曹操の大失態!典韋の死を招いた賈詡の謀略を考察

2019年11月19日


 

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張繍

 

建安2年(197年)に曹操(そうそう)は南陽の宛城に、かつて打ち破った董卓(とうたく)の残党が再び集結して許昌を攻撃しようとする情報を入手します。総大将はかつて董卓に仕えていた張済(ちょうさい
)
の甥の張繍(ちょうしゅう
)

 

苛ついている曹操

 

曹操は急いで準備を整えると出陣しました。しかし、この戦いで曹操は大切なものを失うことになります。

今回は小説『三国志演義』をもとに「宛城の戦い」について解説します。

 

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています

 

自称・皇帝
当記事は、
賈詡 典韋
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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あっさり降伏の張繍と賈詡

賈詡

 

曹操は15万の兵士を引き連れて張繍の本拠地である宛城に到着しました。報告を聞いた張繍はびっくりして、軍師の賈詡(かく)と相談します。

 

「曹操が陣頭指揮をしている以上は、真正面から戦っても我々は勝ち目ゼロです」と賈詡は辛口評価。

 

曹操と張繍

 

「それじゃあ、どうすればいいの?」と張繍が尋ねると、賈詡は力を温存するためにニセの降伏を提案。確かにそれはいいかも、と思った張繍も賛成して賈詡と一緒に降伏しました。曹操は一兵も損なわないから彼らの降伏をあっさりと受け入れます。

 

美貌の鄒氏と賈詡の企み

鄒氏

 

曹操はしばらくの間、宛城にいました。そこで鄒氏(すうし)という女性に出会います。亡くなった張繍の叔父の張済の妾です。張繍とは義理のおばの関係に該当します。年齢は不明ですが20~30代と推測されます。曹操はこの時点で正妻の丁夫人、妾の卞夫人もいました。だが、そんなことお構いなしに猛烈アタック!

 

曹操には服従しているが内心キレている張繍

 

やがてその件が張繍の耳に入りました。張繍は城内は勝手に歩く、親族に手は出す曹操に我慢が出来ず激怒。だが、軍師の賈詡は「女に油断している今こそ奇襲のチャンスです!」と張繍を励まします。

 

悪来と呼ばれた典韋

 

言われてみればその通り、と張繍は考えを改めました。ところが問題が1つありました。曹操の護衛に付いている典韋です。典韋(てんい)は曹操のボディーガードをしており、曹操軍の豪傑でした。

 

まずは典韋を排除する必要があります。張繍は自分の配下で1番の豪傑である胡車児を呼んで典韋と一騎打ちで勝てるか尋ねます。

 

「恥ずかしながら典韋には歯が立ちません」と胡車児は、あっさりと負けを認めます。話にならないと思った張繍でしたが、胡車児は有力な情報を持っていました。

 

「典韋は酒好きです。酒宴に招いて、酔わせて武器を奪って殺すのはいかがですか?」

名案である、と思った張繍は賈詡と一緒に実行することにします。

 

典韋の最期と曹操の悲しみ

 

張繍は典韋が非番の日に酒宴に招待しました。典韋は久しぶりの酒だったので、すっかり酔いつぶれます。酔った典韋を屋敷まで送り届けた胡車児は、スキを突いて剣と戟を奪いました。

 

さて、曹操は鄒氏と楽しく過ごしていましたが、城の内外の様子が変であることに気付きます。急いで甲冑を身に着けて駆け付けると、張繍たちが一斉に攻撃を仕掛けてきました。

 

謀られたと気付いた曹操でしたが時は遅く攻撃を受けます。一方、典韋も目覚めた時は火に囲まれていました。典韋は武器を探しましたが見つかりません。状況を把握した彼は、外に出ると張繍軍と奮戦しました。

 

典韋にボコボコにされる成廉

 

典韋は相手の武器を奪って奮戦するも、敵は圧倒的に数が多く、ましてや彼は酒を飲んでいたのでいつもの力が出ません。それでも典韋は曹操のボディーガードの役目を果たすために戦います。

 

絶命する典韋

 

張繍軍は正面から戦っても勝てないと分かったので、弓矢で攻撃することを決めます。一斉に弓矢が典韋に向かって発射!典韋はその矢を全て受け止めました。

彼は・・・・・・典韋は直立不動のままこの世を去りました。死んでも主人の曹操を守ろうとしたのです。

 

曹昂(曹昴)

 

なお、逃走に成功した曹操は典韋が死んだことを聞かされました。この戦で息子の曹昴と甥の曹安民も死にましたが、曹操は典韋という忠実な部下を失ったことに莫大なショックを受けました。

 

曹操は典韋のことを一生忘れず、また典韋の子の典満には位を与えたのでした。

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が賈詡の謀略と典韋の最期についての解説でした。実は典韋の最期については科学的解明がされています。人間は激しい運動をして急死するとすぐに死後硬直が始まる可能性があるようでした。

 

典韋の他に立って死んだことで有名なのは日本の武蔵坊弁慶や日清戦争で戦死した木口小平という兵隊です。昔の人は立って死ぬというのは、「忠臣」と考えていたのでしょうね。

 

もしかしたら、昔の戦場には直立不動の遺体がいっぱいあったかもしれませんね。

 

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※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

典韋ファンの人、本当は胡車児のファンでしたという人はコメントをどんどん送ってください!

 

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