劉協はどうして陳留王と呼ばれているの?

2019年11月20日


 

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北方謙三 三国志を読む桃園三兄弟 劉備、関羽、張飛

 

横山三国志の初心者の中では、登場人物の名前が当然のように変化するのが、非常に戸惑う事なのだそうです。

 

 

献帝

 

その中でも、三国志の序盤に出てくる劉協(りゅうきょう)が知らない内に陳留(ちんりゅうおう)とも呼ばれ、さらに献帝(けんてい)と称号が変化するのも混乱するのだとか。

 

 

はじめての三国志

 

 

はじめての三国志」は、三国志の初心者向けの記事も配信していますので、今回は劉協がどうして陳留王とも呼ばれているのかを分かりやすく解説します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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皇帝の子供は都市の支配者に任命される

洛陽城

 

劉協は、後漢の十二代皇帝霊帝(れいてい)の子供です。

 

 

漢王朝と光武帝

 

彼は、後漢を建国した光武帝劉秀(こうぶていりゅうしゅう)の子孫なので姓は劉そして(いみな)は宏と言います。だから個人名としては劉宏(りゅうこう)という事になります。劉協も同じで個人名は劉協でした。では、その後に出現する陳留王というのは何なのでしょうか?

 

段ワイ、献帝

 

 

当時の漢王朝のシステムでは、皇帝の子供が男子の場合には、中国のどこかに領地をもらって王として君臨する事になります。劉協も同様に、最初は渤海という土地を領地に貰って渤海王になり、その後領地替えがあって陳留に領地をもらい陳留王になりました。

 

三国志のモブ 反乱

 

どうして、皇帝の子供が領地をもらって王として君臨するかと言うと、万が一反乱が起きた時に、これらの皇帝の子の王達が皇帝を助けて兵を挙げてくれる事を期待するからです。このような王の存在を難しい言葉で藩屏(はんぺい)と言います。

 

 



劉協の兄の劉弁は弘農王

 

 

例えば、劉協の腹違いの兄の劉弁(りゅうべん)は、当初は霊帝の後を継いで皇帝に即位して少帝と呼ばれましたが、董卓に皇帝をクビにされて、弘農王に格下げされています。この弘農も洛陽の近くの土地の名前であり、それまでの漢の習慣に倣っているのです。

 

でも、劉弁にとっては洛陽の近くに領地をもらったのは悲劇でした。劉弁が反董卓連合軍に利用される事を恐れた董卓は、弘農に配下を送り劉弁を殺害するように命じたのです。

 

小帝(少帝劉弁)と董卓

 

 

もっと遠い領地に飛ばされていたら、董卓の毒牙も届かなかったでしょうが、やはり一度皇帝になった以上、董卓は警戒して手元から離さなかったでしょうね。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

 

三国志では、王は皇帝の子供という意味

小帝(少帝劉弁)

 

これは、三国志の舞台となる後漢末期の特徴ですが、この時代には正式に王になれるのは皇帝の子孫だけでした。つまり皇帝の子が王という称号を許されるのです。一応、後漢の末期には曹操が献帝に迫って魏王になるのですが、それは異例中の異例で後漢の時代には二百年絶えて無かった事態でした。

 

※勝手に王を名乗って独立しようものなら死刑間違いなし

 

 

袁術君08 コンフォートゾーン」から抜け出す05 董卓

 

 

劉協は董卓によって担がれて、後漢の最期の皇帝である献帝になります。献帝には七名の男子が確認できますが、その中の消息が分かる5人もやはり王になっています。

 

済陰王(さいいんおう) 劉熙(りゅうき)

山陽王(さんようおう) 劉懿(りゅうい)

・南陽王 劉馮(りゅうふう)

済北王(さいほくおう) 劉邈(りゅうばく)

・東海王 劉敦(りゅうとん)

 

呉と蜀を倒しに南下する曹操軍

 

この済陰、東海、山陽、南陽、済北も、やはり土地の名前です。

 

 

献帝を保護する曹操

 

 

実際の献帝は、曹操の保護下にあり何一つ自分で決める事は出来ないカゴの鳥でしたが曹操は後漢の習慣を重んじて、皇帝の子が王として各地に派遣されるのを認めていたわけですね。

 

 

世代を経るとランクが下がる王

劉邦時代の農民

 

では、王に任命された皇帝の子が亡くなった後はどうなるのでしょうか?

 

この時は王の後継ぎが王位を継ぎ王になりますが、後継ぎ以外の子供は(こう)に格下げになります。侯というのは、王族でなくても臣下でも到達できる地位ですから、低い地位ではありませんが、もう王族という優位性はないわけです。

 

 

 

さらに侯になった人々も同じように、後継者以外はランクが下がります。こうして後継者でなければ、祖父が皇帝でも曾孫(ひまご)の代には無位無官になるのです。ちょっと可哀想な気もしますが、考えてみれば皇帝の子孫が永遠に王であり続ければ中国全土が王の領地になってしまい収拾がつかなくなりますからね。

 

 

献帝のその後

献帝

 

 

劉協こと陳留王は、董卓によって後漢最期の皇帝である献帝になります。

 

 

曹丕

 

 

その献帝も30年の在位を経て、西暦220年に曹丕(そうひ)に皇帝の位を禅譲(ぜんじょう)します。禅譲というのは皇帝の位を譲るという事で、皇帝ではなくなる事を意味します。劉協の兄の劉弁は皇帝ではなくなった後、弘農王に格下げされました。しかし劉協はそうはならず、山陽公(さんようこう)という地位に格下げになりました。

 

山陽も土地の名前であって実質は王なんですが、公というのは王よりも下です。すでに天下は劉氏の天下から曹氏の天下に動いていたので、劉氏である劉協は王を名乗れなくなっていたのです。

 

皇帝に就任した曹丕

 

 

曹丕が興した王朝を魏と言い、曹氏の姓を冠して曹魏と言ったりします。魏も後漢の制度を真似て、曹操の息子達を王にして各地に領地を与えました。

 

 

曹休と曹丕を可愛がる曹操

 

 

曹操は子供が多いので全員を紹介しませんが、例えば曹丕のライバルとして有名な曹植(そうしょく)陳思王(ちんしおう)曹幹(そうかん)楚王(そおう)曹彪(そうひょう)は呉王、曹據(そうきょ)彭城王(ほうじょうおう)曹宇(そうう)燕王(えんおう)という具合になっています。今度は曹操の子孫である彼らが、曹王朝を守る藩屏(はんぺい)としての行動を期待されるようになっていくのです。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

いかがだったでしょうか?劉協と陳留王と献帝の称号について分かりましたか?

 

kawauso

 

まとめてしまうと、①三国志の時代では王とは皇帝の子孫である。②王は国内に領地を与えられて、いざという時には王朝を守る義務がある。

 

③王が亡くなるとその後継者が王になり、後継者以外の子供は1ランク地位が下がり侯になる。④皇帝の位を追われた子は改めて領地を与えられて王に格下げされたりする。⑤劉協も曹丕に皇帝の位を追われたが、すでに漢は滅んでいるので王にはなれず公になった。

 

 

朝まで三国志 kawauso

 

このあたりの事が分かれば、名前が変化しても戸惑わないで済むかと思います。

 

参考:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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