横山三国志では劉備が母のお茶を買うけど、あの頃お茶ってあるの?


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横山三国志 表紙引用

 

横山光輝三国志の一巻においての印象的なシーンとして、劉備(りゅうび)の母が劉備が買ったお茶を河に投げ捨てる時のチャッポー!擬音(ぎおん)が挙げられるでしょう。チャポンでもなければ、チャポーンでもなくチャッポーです。なんだか耳に残る擬音ですね。

それはそうと、三国志の時代にお茶なんてあったのでしょうか?仮にあったとして、貧しい劉備のような青年の手に入ったのでしょうか?

 

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高価なお茶をチャッポーする劉備母

袁紹にお茶を渡す顔良

 

劉備の母は、貧しいながらも劉備には漢室の末裔(まつえい)としての誇りを捨てないで強く生きて欲しいを教育方針とした女性です。だからこそ、劉備がお茶を持って無事に戻ると泣いて喜びましたが、劉備が家に伝わる名剣を黄巾賊(こうきんぞく)退治に協力してくれた張飛(ちょうひ)にお礼としてあげたと聞くと豹変(ひょうへん)して、

「剣よりも茶のほうが大切とお思いでしたか。そんな子が求めてきた茶を喜んでのむ母とお思いでしたか。私はそれが腹がたつ。私はそれが悲しい。おろかものおろかもの」このように言って劉備を折檻(せっかん)し、お茶を壷ごとチャッポー!と河(正確には北拒馬河(ほくきょまが))に投げ捨ててしまうのです。

張飛の虎髭

 

三国志の時代のお茶は高級品であったと解説されます。だからこそ劉備が大金でお茶を買ったと聞いた時に黄巾賊も「お茶!」と驚きの表情を隠せなかったのです。そんな貴重なお茶を茶壷ごとチャッポーしてしまう劉備の母は相当にクレイジーです。すでに家財は黄巾賊討伐の名目で、あらかたお上に持ち去られたというのに、自暴自棄(やけ)になったのでしょうか?

劉備

 

いいえ!劉備の母は貴重なお茶を捨ててしまおうとも、劉備にいかに貧しくても漢室の一員の矜持を持って生きなさいと諭したのです。高価なお茶より剣が誇りが大事!でも、その為に劉備が一年働いて買った茶を捨てるのはあんまりでしょう。黄巾賊を相手にしてもお茶を守った息子の勇気を()めてもよさそうなもんです。


意外!三国志演義には登場しない劉備母

 

それはそうとして、実は劉備の母は三国志演義では全く出て来ません。もちろん、劉備の思い人である芙蓉姫(ふようひめ)も出ません。当然、お茶のエピソードもなく、劉備、関羽(かんう)、張飛は男だけで桃園の誓いをして、義勇兵として三十年以上も続く戦いの日々に身を投じていくのです。小説ならそれでもいいですが、(ぼう)魁男塾(さきがけおとこじゅく)じゃああるまいし、漫画の絵ヅラ的にはヒロインが出てきた方がいいので、登場してくるのかも知れません。

曹操にヘッドハンティングされる徐庶

 

ところが三国志演義には、徐庶(じょしょ)の母はちゃんと出てきます。こちらも劉備母とほぼ一緒でお金よりも誇りが大事と信じる良妻賢母(りょうさいけんぼ)タイプの人でした。そして、自分の身を心配して劉備を捨ててやってきた息子を罵倒(ばとう)し、自殺してしまうのです。

お茶チャッポー!の劉備母より100倍過激な徐庶母、kawausoは、もう少し普通の母の方がいいですハイ。

 

【はじめての三国志平話】
三国志平話


三国時代のお茶はむしろスープ

料理人

 

三国志の時代、すでにお茶の原型は存在していました。しかし、そのお茶の原型は当時の五種類の飲み物にも数えられてもいませんでした。その理由は簡単で超マズかったからです。

現代に通じるお茶は、檟茶(かちゃ)と言われ、三国志の次の晋の時代には、早采りを茶と言い番茶を(めい)と区別していたようです。ただし、漫画と違いお茶は高級品ではなく一部の薄味好きがマニアックに飲んでいるだけで庶民には浸透していないようです。

茶を飲む張角(太平道)

 

お茶は前漢の時代の王褒(おうほう)という人が「お茶を()て具を尽くす」や「武陽に茶を買う」という記述を残していましたが、まだ、一部の人が飲んでいるだけでした。その後唐の時代に入り、ようやく一般にも飲まれるようになりますが、当時はこれという製法も無く、なんと茶の芽を摘んでは、野菜と一緒に煮て飲んでいたと言われています。

酒を飲む曹操、劉備、孫権

 

つまり、唐の時代の初期までの茶は今のように茶葉を発酵(はっこう)させて、香りと味を強くしなかったわけで、野菜と混ぜてスープのように飲んでいただけなのです。香りも無ければ味もないのでは、好き好んで飲む人が少ないのも(うなず)けます。

実際に、晋の時代の王蒙(おうもう)という人は、お茶が好きで宴会では酒の代わりにお茶を出し客人を持て成していましたが、味がしないお茶は客には大不評で、「また水を飲まされるのか」と陰口を叩いていたのだそうです。


下戸の人には歓迎されたお茶

孫晧(孫皓)

 

三国志の時代の茶は不人気だったと書きましたが、実は下戸の人には歓迎されました。

酒乱孫権の再来と呼ばれた孫皓(そんこう)は、部下に七升の酒を駆けつけ三杯感覚で飲ますアルハラ男でしたが、それに耐えかねた韋曜(いよう)は、お酒と誤魔化して茶を飲んでいたそうです。

「でも、お茶とお酒じゃ色でバレるんじゃね?」いえいえ、三国志の時代の酒は清酒ではなく黄色く濁っていたのでお茶でも誤魔化せたのです。

 

kawauso

 

ただ、味自体は水も同然なんで、韋曜も普段はお茶を飲んだりしなかったかも知れません。

どうして呉で茶が飲まれたかというと、茶の産地が南方で江南地方にも自生していたからだと推測されます。

 

唐代の茶聖陸羽により茶は完成を迎える

 

味が薄く野菜と共に煮込むスープに過ぎなかったお茶は、唐の時代に登場した陸羽(りくう)によって完成を迎えます。陸羽は安禄山(あんろくざん)の乱を避けて、江南地方に逃れ、庵を結んで桑苧翁(そうちょおう)と名乗り、14年間野山を歩いて茶経(さきょう)三巻を著わしたと言われます。もし、安禄山の乱が無ければ陸羽が江南に行く事もなく、お茶の完成はもう少し遅れたかも知れませんね。因みに茶経で解説されているのは、団茶で、日本の煎茶や抹茶ではありません。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

元々の三国志演義に劉備のお茶の話はありませんが、それが登場してくるのは小説の吉川英治三国志においてのようです。ここで芙蓉姫も登場し、張飛や関羽も原作の三国志演義よりも、キャラクターの背景を練って登場してきます。

つまり、横山光輝三国志は、三国志演義を漫画にしたのではなく、吉川三国志を漫画にしたものと言えるでしょうチャッポー!

 

参考文献:中国社会風俗史

 

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