裴松之の怒りの告発?賈詡を荀彧・荀攸と一緒にするな?


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裴松之(歴史作家)

 

裴松之(はいしょうし)は東晋(317年~420年)末から宋(420年~479年)初めの歴史家であり、河東の裴氏という名門の出身です。彼は陳寿(ちんじゅ)の正史『三国志』の中身が簡略であったことから、文章に注を付けて意味を分かりやすくしました。

 

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現在刊行されている『三国志』は裴松之の注(以下、裴注)がセットとなっています。裴注は近代歴史学に近いものとして、非常に高い評価を受けています。裴松之はどのような意図で裴注を作ったのでしょうか?今回は正史『三国志から裴松之が裴注を作った意図を解説します。

 

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。

 

自称・皇帝
当記事は、
「裴松之 賈詡」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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裴松之の推しメンは荀彧?

歴史書をつくる裴松之

 

裴注は中立的な内容であり近代歴史学に近いと言われています。確かにそれは間違った内容ではありません。ただし全ての裴注が中立的とは言えません。数は少ないのですが裴松之は主観的・感情的になり注を付けることがありました。

 

晋の陳寿

 

例えば正史『三国志』巻10で陳寿が荀彧(じゅんいく)荀攸(じゅんゆう)賈詡(かく)の3人を論評をして締めくくります。これに対して裴松之は、「荀彧・荀攸と賈詡を一緒にするな!賈詡なんて程昱(ていいく)郭嘉(かくか)と一緒に扱えばよい」とマジ切れします。

 

晋蜀の産まれ 陳寿

 

裴松之が陳寿に異論を挟むのは非常に珍しいことです。だが、荀彧に対してだけは低評価の内容が出てくると反論を容赦なくしています。これはどういうことでしょうか?手がかりは裴松之と同時代に生きた范曄(はんよう
)
という人物が執筆した『後漢書』にあります。

 

范曄の『後漢書』では荀彧は後漢(25年~220年)擁護のために、やむを得ず曹操に仕えたことにされています。中身は裴松之と一緒です。

 

爽やかな荀彧

 

ましてや范曄と裴松之が仕えた宋は、劉氏が建国した王朝です。後漢擁護をするのは必然と考えられますし、当時の知識人の間では「荀彧=忠臣」というイメージが伝わっていたのでしょう。つまり、裴松之は自分が生きていた時代の価値基準で荀彧を執筆していたのです。だから、自分と意見が合わない陳寿の論評にケチをつけていたのでした。


根拠無きケチを付ける裴松之 もはやギャグか?

 

裴松之は史料の論評も好きでした。けれども、その評価は常に辛口です。有名なのは『献帝春秋』と『山陽公載記』です。2つとも裴注で裴松之が「史籍の罪人」と断言しています。

 

曹操

 

その根拠は何かと言いますと建安9年(204年)に曹操が審配の守備している城を落とした時に、審配は逃げて井戸に身を隠したという話が『献帝春秋』と『山陽公載記』に記載されています。

 

これに裴松之は、「審配は袁紹軍でもスゲー奴だぞ!井戸に身を隠すなんて信じられるか!」と非常に憤慨します。何の根拠も無い発言です。審配が袁紹・袁尚の2代に渡って仕えて最期は処刑されたからという理由で言っているだけと思われます。


貧乏な貴族には厳しい

 

なぜ裴松之は、こんな根拠無き批判を平気で浴びせるのでしょうか?それは裴注で使用された史料の執筆者の家柄が低かったからです。『山陽公載記』の執筆者である楽資は、『隋書』経籍志に「晋の著作郎楽資」と書かれている以外は不明です。

 

『献帝春秋』の執筆者である袁暐(別名:袁曄)は呉(222年~280年)の袁迪の孫ですが詳細は事績不明。この他にも裴松之が持ってきた史料の著者のほとんどは事績が分かっておらず、また裴松之の評価もあまり良くありません。

 

近年の研究で分かってきたことですが、裴松之は出自・歴史観が違う人物には批判を加える傾向があったようです。彼にとっての「史実」は現代の我々とは違い万人に承認されるための客観的な「史実」ではないのです。裴松之という1人の貴族、つまり自分のための史実だったのです。


三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が裴松之の歴史観に関して解説でした。裴注が近代歴史学に貢献したのは間違っていません。ただし、本人は全くその意識無く執筆しています。裴注はあくまで「作業」の1つです。本人が主張したかったのは、あくまで自分の価値基準でした。

 

筆者は最初に裴松之が「荀彧・荀攸と賈詡を一緒にするな」という発言を読んだ時に、裴松之はアイドル・オタクのような人だったのか、と思いました。

これは良いネタが書けそうだと思ったが、詳細に調べたら違っていたので、がっかりしました。

 

※参考文献

・袴田郁一「裴松之『三国志注』の史料批判と劉宋貴族社会」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』64 2019年)

 

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