虫歯や歯周病等、歯を失う理由は数多くあります。自身の肉体の一部を失うのは恐ろしいもので、まして毎日用いる「歯」ならばなおさらです。現代でこそ様々な治療法がありますが、それでも歯を失ってしまう人がいます。医療技術に劣る大昔ならばさらにそうした人は多く、歯を失うことやそれによる恐怖は現代と比べ大きかったと思われます。中国では、歯を失う恐怖を詠った詩が残されていました。
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韓愈といわれる詩人
歯を失う恐怖を詩にしたのは韓愈という人物です。韓愈 退之(768-824年)は中国の唐時代 中期を代表する詩人・文人でした。孟州河陽県、昌黎の出身で弓高侯韓頽当(韓王信の子)の末裔であることを自称してしました。唐宋八大家という中国の唐代から宋代にかけての八人の文人のうちの一人として名を知られています。「韓文公」と諡されていました。彼は落歯という詩を詠っています。今回はその詩を紹介します。
落歯~恐怖編~
以下に落歯の詩を記しました。
落歯
去年落一牙 今年落一齒
俄然落六七 落勢殊未已
餘存皆動搖 盡落應始止
訳文
去年は奥歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜けた。
そうかと思うと六本七本抜けてゆき、その勢いは一向に止まらない。
残りの歯も皆グラグラと動き、きっと全ての歯が抜け落ちるまでおさまらないかもしれない。
いきなり恐ろしい記述です・・・。現代語で言えば、歯周病の症状ですね。経験がある方にはわかると思いますが、歯が次々抜け落ちる恐怖、グラグラがおさまらない恐怖が表現されています。特に一本を喪失した直後に既に他の歯がグラついているのはかなりの絶望感があります。
落歯~追憶編~
憶初落一時 但念豁可恥
及至落二三 始憂衰即死
毎一將落時 懍懍恆在己
最初に抜けた時は、歯と歯の隙間ができたことが恥ずかしいと思っただけだった。
その後二・三本と抜けてゆくと、このまま体も朽ち果て衰えて死ぬのではと心配になった。
また一本抜けそうになる度に、次第に心の中に恐れが募っていった。
後の文で分かりますが、この詩を作った段階では既にもっと悪い事態になっているので、この節は過去のことを追憶している部分です。歯を失うとは噛めなくなるだけでなく、身なりにも関わる事が詠われており、かなり実体験を詠った詩になっています。当時に次々歯が失われ、肉体が損なわれ朽ち果てることを恐れていたことが述べられています。
落歯~諦念編~
叉牙妨食物 顛倒怯漱水
終焉捨我落 意與崩山比
今來落既熟 見落空相似
ぐらぐらした歯は食事の時もままならないし、うがいするのも恐ろしかった。
歯が私を見捨てて抜け去った時には、山が一つ崩れ落ちたような衝撃を受けた。
この頃はもう抜けおちることにも慣れてしまい、抜けても「ああ、またか」と思うだけになった。
餘存二十餘 次第知落矣
儻常歳落一 自足支両紀
如其落併空 與漸亦同指
今残っている二十余本も、次第に抜けてゆくのだろう。
年に一本ずつ抜けるとしても、二十余年は十分に持つだろう。
万が一、一度に全て抜け、歯なしになったとして、少しずつ抜けることと結局は変わらないのだ。
「歯が自身を見捨てる」や「歯を失う苦しみは山が崩れ落ちるようだ」等と卓越したそして絶望的な表現で描写されています。一方では少し心境に変化が出ています。歯を失うことを恐れていましたが、段々と恐怖にも慣れていき、諦めが生まれると同時にその結末も予期し受け入れ始めます。
落歯~達観編~
人言齒之落 壽命理難恃
我言生有涯 長短倶死爾
人言齒之豁 左右驚諦視
ある人は言った、「歯が抜ければ、寿命も当然ながらあてにならない」と。
私は答えた、「そもそも命には限りがあり、長寿でも短命でも結局は同じ様に死ぬのだ」と。
それに対し、「同じではない。歯にポッカリすきまが出来ると、周囲がびっくりしてじろじろみるだろう」と言われた。
我言荘周云 木鴈各有喜
語訛黙固好 嚼廢軟還美
因歌遂成詩 持用詫妻子
私は「荘子は『有用のものも無用のものもそれぞれ長所がある』と言った。ものが言えなければ、黙っていられて都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものが今よりずっとおいしく感じるだろう」と答えた。
そこで歌ったあげくに、この詩を作り上げた。ひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。
この最終節は問答形式で書かれています。最終的には自身におきた変化を嘆くのではなく、そこでの変化を受け入れ、その中で生きていくことに決めたように思えます。その心境は、ある種の達観した粋に達したようにも見えます。
三国志ライターF Mの独り言
この詩を読んだときに思ったのが、この詩で詠われている内容、話の流れは共感できる方も多いのではないのでしょうか。古い時代に書かれた詩ではありますが、現代であっても多くの人が経験することです。最初は歯を失うことに恐怖していましたが、その恐怖が諦めへと変わり、そして恐怖と新しい自分を受け入れて、さらに上の境地に辿り着くような、そんなエピソードです。
・・・といっても、これ元々歯を磨けば良いだけの話なんですけどね。
参考URL:
参考書籍:
歯の博物史, 斎藤 安彦著, 創英社(2001)
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