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キングダム「どうして中華は七雄に分裂したの?」

2020年1月6日


 

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キングダム 戦国七雄地図

 

大人気春秋戦国時代漫画キングダム、そのそもそもの始まりは、中華は五百年の戦乱で小国が淘汰されてゆき、秦、趙、、韓、、楚の七国にまとめられたという話になっています。しかし、よく考えるとどうして七国なのか?キリよく十国でも五国でもいいのに、どうして中途半端な七国なんでしょうか?実は、そこには偶然ではない、ちゃんとした理由があったのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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経済圏が七国を生み出した

 

どうして、キングダムの時代には、七つの強国が残ったのか?

それは、こちらの当時の中国の経済圏を見てみると分かります。御覧のように当時の中国には、①燕経済圏、②山西経済圏、③山東経済圏、④呉経済圏、⑤楚経済圏、⑥巴蜀経済圏、⑦関中経済圏、⑧洛陽経済圏、⑨西羌経済圏の九つの経済圏が存在しました。

あれ?七雄なのに九の経済圏があるのか?と思うかも知れませんが、⑨西羌経済圏と⑥巴蜀経済圏は、キングダムの時代には中国の外でしたから、事実上は七つの経済圏です。そうです、一国につき一つの経済圏を持っている事が春秋戦国時代の中国が七つの国になった大きな理由でした。

 

※韓と魏は二国でありながら、⑧の1つの洛陽経済圏に入っていますが、韓・魏・趙は春秋時代には晋という超大国に属していた国であり、元々一つだったのが分裂したものです。

蜀の皇帝に即位した劉備

 

これら七つの経済圏は、相互に影響して中国の物産を豊かにしていましたが経済圏という言葉で分かる通り外界と隔絶していても経済活動が可能なエリアでした。ちなみに⑥巴蜀経済圏は、キングダムの時代から400年後の三国志の時代に劉備が蜀漢を建国して皇帝を名乗った土地ですが、それが可能なのは蜀が独立した経済圏だったからです。

 

秦は穀物と鉄に溢れていた

嬴政(始皇帝)

 

戦国七雄が、九つの経済圏に別れていると書きましたが、それぞれの国には特産物がありました。例えば、七雄では一番経済的に栄えた時期を持つ斉は、海に面しているので塩が取れ、さらに魚を塩で加工して中華全土に売りさばいていました。干した魚は保存が効きますし、塩は生きていくのに欠かせないので、持って行く事さえ出来れば、どこでも歓迎され、あっという間に売り切れたのです。

兵糧を運ぶ兵士

 

また⑧の洛陽経済圏に入る韓と魏は洛陽付近である事もあり、七国からの物品が大量に入ってくるので貨幣経済が発達しました。趙はキングダムでも描写されている通り、匈奴や羌族の生活圏である⑨の西羌経済圏と①の燕経済圏から、毛皮や魚、塩、(なつめ)、栗のような食品や衣類の材料が入ってきていて、武霊王の時代には富強になっていました。

李牧

 

そして、秦は関中経済圏という当時の中国の穀倉地帯を保有していて、穀物は他国に売る程の収穫量がありました。これは、100万という大きな兵力を養うのに大きな力になっています。また、⑥の巴蜀経済圏からは、銅や鉄が産出されていて強力で頑強な武器や防具を造り、貨幣を鋳造する原資にも恵まれていました。

 

キングダムネタバレ考察

 

函関谷に籠れば百年でも守れる

函谷関

 

秦と言えば、戦国時代に何度も六国による合従軍(がっしょうぐん)により函谷関(かんこくかん)まで押し寄せられた事があります。多くは五カ国や四カ国の合従軍ですが、その兵力は数十万であり関を破られればひとたまりもない事もよくありました。しかし、幸いにして関中は穀倉地帯であった為に、函谷関さえ頑なに守り続けていればよく兵糧攻めに苦しむ事はなかったのです。

空腹の三国志の兵士

 

一方の合従軍は、函谷関を突破できずに滞在期間が延びると、食料不足に直面する事が確実であり、秦は攻め落としにくい厄介な相手だった事になります。事実、秦は紀元前206年に楚の項羽(こうう)に滅ぼされて蹂躙(じゅうりん)されるまで咸陽に敵の侵入を許した事はありません。

 

九つの経済圏を一つにする秦

城 銅雀台

 

秦が七国で一番弱く、半分は秦の衛星国になった形の韓を滅ぼしたのは紀元前230年でした。そこから、最後の斉を無血開城させるまで、およそ10年しか掛かりませんでした。そこには、次々と六国の経済圏を秦に向かって収斂していくに従い、秦の交易量が増加していった事があるのでしょう。秦王政は六国を滅ぼすごとに、その国の宮殿と全く同じものを咸陽の北阪に造営させ宮廷の美女も、そっくりそのまま遷したそうです。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

この話が本当かどうかは置いておくとして、ここには、国を滅ぼしていくと同時に、その国の経済を秦に吸収していく過程が表現されているような気がします。全国統一の後の事ではありますが、始皇帝は六国の大金持ちを強制的に咸陽に移住させたと言われています。

その中には呂不韋のような大商人も多くいたでしょうから、秦が六国を滅ぼして⑥つの経済圏を⑦の関中経済圏に組み込む事を強く意図したものだった事でしょう。六国は経済圏を秦に握られて経済的にも孤立していく中で、力を削がれて滅んでいったので

す。

 

参考:中国古代の貨幣 お金をめぐる人々と暮らし/115p~119p/柿沼陽平/2015年4月20日第二版/歴史文化ライブラリー395/

 

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

 

 

どうして、戦国七雄は七国じゃないといけなかったのか?その答えは、それぞれの国が一つの経済圏を支配していて自立する事が出来たからです。元々は何百も存在した国が併合されていくと、最終的には自立可能な経済圏を掌握している勢力が、その領域を排他的に支配するわけですね。秦帝国が崩壊した後も、中国は五胡十六国とか五代十国とか、分裂の時代を経ていますが、大体、九つの経済圏のいずれかに拠っているのが分かります。そうではない国は経済を握られて衰弱してしまい、他国に吸収されて消えてしまうのです。

 

参考:中国古代の貨幣 お金をめぐる人々と暮らし/115p~119p/柿沼陽平/2015年4月20日第二版/歴史文化ライブラリー395/

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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