三国志の物語の終盤を飾る戦いが、杜預による呉の征伐。「破竹の勢い」という故事の由来となったほどの、圧倒的な快進撃でした。つまり杜預は、ついに三国統一を完成させた人物!とうぜん、杜預の威名は三国志の物語中でも最大級のもの!となってもよいはずなのですが、率直なところ、こう書いたところで多くの三国志ファンですら、「あれ? 杜預って誰だっけ?」な有様ではないでしょうか。
「三国を統一したのはオレなんだよー」と草葉の陰で杜預も泣いているのではないでしょうか。そこで今回は、「杜預ってどんなヤツだっけ?」と首をかしげてしまったあなたの為に、杜預のキャラクターを大整理いたしましょう!
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この記事の目次
登場が遅かっただけで若造というわけではない!
まずは、ありがちな誤解の訂正から。一部メディアの影響で、杜預といえば「若造」なイメージがありますが、呉の征伐をやった時は既に五十代のオッサンでした。討伐軍の総指揮官としては十分な年齢であり、キャリアとしても乗り切った時期だったものと推測できます。
そんな杜預が、どうして「若造イメージ」なのか?
三国志といえば多くの人の中では「曹操や劉備や孔明の時代」なので、その時期に子供だった杜預はどうしても「青二才」というイメージになってしまうことが、まず一点。
もう一点は、彼にとっては師匠格にあたる羊祜が死の間際に「私の後継者となりうる男として、杜預という有能な男がおりまする」と司馬炎に遺言をするシーンのインパクトのせいでしょう。このエピソードが、「羊祜よりも杜預のほうがずっと若い」という誤解のもとになっているようですが、実は羊祜と杜預はほとんど同世代だったりします。
「後継者には是非彼を!」と羊祜が言っているのは、次世代のホープを指名したのではなく、単に同僚の一人を推薦しているだけだったりします。ところがこの場面の羊祜の格好良さが、「無名の若者、杜預を引き立てた」という印象を生み出してしまっているのではないでしょうか。
ともあれ「青二才」と呼ばれても仕方のないアンバランスなキャラクター
しかし「若造イメージ」でとらえられてしまっていることについては、羊祜の死に様だけでなく、杜預本人にも責任があります。羊祜から推挙されて登場してきた杜預ときたら、
・学問が好きで、古典である『春秋』の左氏伝については、自ら注釈を垂れられるほどのマニアだった
という書生っぽい雰囲気を漂わせている有様。
この時、既に中年軍人ですから、「古典の注釈をしている男だった」という若造フラグを立てている場合ではないはずなのですが、このせいで杜預といえば、難しそうな本を読んでいるオタクっぽい若将軍というイメージになってしまったのではないでしょうか。
ちなみにですが、杜預の「春秋左氏伝の注釈」というのはちゃんと現代にも残っている功績であり、書生のレベルではなかった模様。古典書オタクといっても、かなりガチな専門家でした!
手続きをしっかりと守る堅実な将軍だった
その杜預、いよいよ呉の攻略という大事業に邁進するにあたって、「破竹の勢い」という故事とはいささか印象の違う慎重さを見せています。敵に対してではなく、本国の味方、特に皇帝司馬炎に対して、逐一の報告と相談をしっかりと行って、余計な横やりが入らないように警戒しているのですね。
・「破竹の勢い」をやっている裏側では、必ず司馬炎に上奏文を送り「こういう状況でわが軍有利なので、この勢いでどんどん攻めるべきだ、いかがでしょう」と逐一確認をしている。
・同時に、司馬炎に対して「たぶん呉を急いで攻めることについて、ああだこうだと言ってくる連中がいるでしょうが、そういう人たちに決心を揺るがされることのないように」というような意味の言葉を入れている
司馬一族に仕えるにあたってやってはいけないこと、「独断先行すること」をやらないよう、とても気を使っていた。そのうえで、もうひとつ、司馬一族に仕えるにあたって気を付けるべき「同僚からの妬みや讒言」に対しても、しっかりと予防線を張っておいた。
有能な軍人であるだけでなく、なかなかしっかりとした有能な政治家という感じがします。
まとめ:そうはいっても三国志全盛期の英雄たちに比べた影の薄さはいなめない
杜預とは、まとめると、
・遅咲きのベテラン
・ただの古典オタクかと思いきや、実戦に出してみると実力があった
・司馬一族に仕えるという難しいポジションを堅実にこなしていた
・つまり、鄧艾や鍾会のような末路を迎えないように細心の注意をしていた、なかなかのしっかり者
というところでしょうか。
総合点でみても、この時代きっての人材であったのではないかと思われます。ただ、この人がどうにも「まっとうすぎて面白くない」と見られてしまうのも、三国志の物語の最終盤の悲しさでしょうか。三国時代が一番ノッていた頃に現れた「濃ゆい」キャラたちの時代がもはや終わったことを、どこか象徴しているような人物が、杜預といえるのかもしれません。
三国志ライター YASHIROの独り言
もっとも、そんな杜預も、もっと早く登場していれば先輩たちに揉まれてもっとアクの強いキャラとして大活躍していたかもしれませんね。古典オタクで通していたあたりとか、どこかに、一歩屈折すれば「濃ゆいキャラ」にオオバケしそうな片鱗も確かに。
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