【麒麟がくる】火縄銃はガラケーの先祖だった!

2020年2月15日


 

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火縄銃(鉄砲)

 

「麒麟(きりん)がくる明智光秀(あけちみつひで)魅了(みりょう)された火縄銃(ひなわじゅう)。西暦1543年に九州種子島(たねがしま)に伝来したと言われる火縄銃は、実は戦国時代に日本の事情にあうようにカスタマイズされガラケー化していました。では、西洋の火縄銃と日本の火縄銃ではどこが変化したのでしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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銃床を持たない日本の火縄銃

長篠の戦い(鉄砲一斉射撃)

 

西洋の火縄銃と日本の火縄銃の大きな違いは、日本の火縄銃が銃床(じゅうしょう)を持たない事です。銃床とは、小銃の銃身を支える木製の部分の事ですが、日本の火縄銃は銃床が極端に短く台尻(だいじり)と呼ばれています。

 

元々、銃床は火縄銃を肩に当てて固定して命中精度を高め、発射の衝撃を緩和(かんわ)する目的で付けられていました。しかし、16世紀には軽装の銃士(じゅうし)が主流になった西洋と違い、日本では侍大将から足軽までかなり重量がある鎧を着ていたので、銃床を持つ火縄銃を肩に押し付けるのは難しく普及(ふきゅう)しなかったと考えられています。

 

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

もうひとつの理由としては、日本の和弓を引き(しぼ)った形が、ちょうど(ほお)のあたりに右手が来て、火縄銃の引金の位置と同じくらいになるという特徴があります。()れ親しんだ和弓の持ち方と火縄銃の持ち方が大体同じになるので、馴染(なじ)みやすかったという理由があるようです。

 

バネの使い方の違い

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

日本の火縄銃は、引金を引く事でロックを解除しバネの反発力で瞬時に火皿の火薬に火縄が着火する瞬発式火縄銃(しゅんぱつしきひなわじゅう)という形式になっています。ところが、欧州やイスラム、中国の火縄銃は逆にバネの力で常に火縄を押し戻す力が掛かっている緩発式火縄銃(かんぱつしきひなわじゅう)でした。

ピストルを乱射する坂本龍馬

 

瞬発式の火縄銃の利点は、引金を引くのと弾丸の発射がほぼ同時でタイムラグがないので狙撃に向いています。ただし意図せずに引金が動いてもすぐに暴発する危険性がありました。逆に緩発式火縄銃は、引金が常に元の位置に戻ろうとするので、暴発の危険性は少ないですが、引金を引いてから弾丸が出るまでにタイムラグがあり狙撃には不向きです。このようにバネの使い方でも日本とそれ以外の地域で火縄銃の性能が異なっていました。

 

麒麟がくる

 

鉄砲隊の使い方の違い

鉄砲隊を率いる今川義元

 

では、どうして日本では瞬発式火縄銃が、西洋やイスラム、中国では緩発式火縄銃が採用されたのでしょうか?これは鉄砲の運用に大きな違いがあったからです。欧州では、火縄銃は、ある程度人数をまとめて密集陣形(みっしゅうじんけい)で運用されました。戦法の中にも一斉に鉄砲を発射する事で、周囲に煙幕(えんまく)を張る効果があり、必ずしも命中率を重視したものではありません。

合戦シーン(戦国時代の戦)

 

逆に日本では、長篠(ながしの)や関ヶ原のように大量の鉄砲兵を動員する事もありましたが、鉄砲足軽自体は少人数編成に留まり、命中率が重視される事になりました。また欧州の場合には、鉄砲兵が敵兵を打ち倒しても、それを誰が倒したかカウントする事はありませんでしたが、日本ではそれがあったので、鉄砲足軽は名狙撃手(めいそげきしゅ)である必要が高まったのです。

 

260年の泰平が火縄銃を固定した

火縄銃(鉄砲)が得意な明智光秀

 

江戸時代に入り、実際の戦場が遠ざかると、火縄銃の運用には多くの流派が登場して、スポーツ化していき、その目安として増々命中精度に(こだわ)るようになります。一方で民間でも、火縄銃は狩猟(しゅりょう)に利用され、やはりタイムラグがある緩発式火縄銃の需要が生まれる余地はありませんでした。

鉄甲船

 

どこまでも命中率を求める日本のガラパゴス姿勢(しせい)は、その後に西洋で開発されたホイールロック式銃やフリントロック式銃のような瞬発式火縄銃と同系譜(どうけいふ)のばねによる撃発機構(げきはつきこう)を持つ銃にも及びました。つまりは、ホイールロック式銃やフリントロック式銃は、威力もあり扱いも簡単でしたが、バネが強すぎて撃発時の振動が大きく銃身がぶれたり、火花が飛んでから火薬に点火するまでにタイムラグがあり命中精度が低下するので、すでに戦国時代には技術そのものは輸入されていたのに定着しませんでした。

 

また、火縄銃と違い、雨の日でも問題なく使えるというメリットも、すでに戦争が起こらなくなった江戸日本では、あまり重視されなくなっていました。日本人は火縄銃を、あまりにも日本の習慣に合うようにカスタマイズしてしまった結果、もっとも手に馴染む武器にまで高めてしまい、それが新しく便利な技術であっても、使いにくいとして新式銃を排除するという方向に進んでしまったのです。

 

ガラパゴス化の元祖火縄銃

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火縄銃には、日本的ガラパゴス化の全てが詰まっているような気がします。例えば、世界的には姿を消しているガラケーが日本では生き残っている等がそうですが、日本人は手に馴染(なじ)んだ道具に強い愛着を示し、スマホが増えていく世界潮流(せかいちょうりゅう)そっちのけで、その道具の利便性を極限まで高めてしまっていました。

スマホを操作する陸遜

日本人は日本だけで、着メロ、着うた、ワンセグ、Edy等、新しい機能を次々につけていき、スマホのような新しい道具を必要ないからと拒絶してしまうのです。ガラケーも消えるかと思えば携帯なのに、Web(ウェブ)とも繋がる第二世代ガラケーが出来るなど、実はまだまだしぶとく生き残っています。ただ、ガラパゴス化は悪い事ばかりでもありません。日本の火縄銃は世界で最も命中精度に特化した優秀な銃器として前装式銃器(ぜんそうしきじゅうき)の射撃大会では、外国人選手でも日本の火縄銃を選ぶほどに愛好されているのです。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

銃床を持たない瞬発式火縄銃は、日本の合戦シーンや生活、習慣にあまりにもマッチしたので、どんどん日本化を続けていき、ついにはメイドインジャパンな性能を持つ、命中率を極限まで追求した武器になったのですね。

 

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織田信長スペシャル

 

 

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