キングダム休載SPvol3「李牧を誅殺に追い込んだのは自然災害」


亡くなる李牧

 

事実は小説より奇なりというのは、よくある事で史上有名な戦争の勝敗の理由が本当は意外な理由だった、、なーんて事はよくあります。キングダムでもそれはあり、例えば李牧(りぼく)誅殺(ちゅうさつ)されたのも、王翦(おうせん)に攻められたからではなく自然災害が引き金だったかも知れないのです。

 

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キングダム休載SPvol3「秦は笑う・・趙で起きた大飢饉」

餓えた農民(水滸伝)

 

王翦が(ぎょう)を陥落させたのは、紀元前236年ですが、再度、王翦が羌瘣(きょうかい)楊端和(ようたんわ)と趙を攻めたのは紀元前229年で7年も後です。どうしてイケイケドンドンとはいかず、7年ものブランクがあるのか?実はこの理由は趙の歴史を綴った趙世家で明白です。

れは、この戦いの2年前に趙の北方を大地震が襲ったからです。

 

代の地で大地震。楽徐(がくじょ)の西から平陰(へいいん)の土地に至るまで、塀や家屋の全半壊多数。大地に565m以上も亀裂が走った。

翌年は大飢饉となる。民の俗謡(ぞくよう)(いわ)く、趙は泣き秦は笑う

史記趙世家

 

このように、紀元前231年には趙の北方で大地震が起き、住居も塀も全半壊。大地の亀裂は565m以上に及びその震災復興でろくに農作業も出来ず翌年には大凶作が起きています。

趙も秦も近くに太行(たいこう)山脈と秦嶺(しんれい)山脈という山脈を抱えていますが、山脈は大陸内のプレートがぶつかっている場所に出来るので、当然地震はあるのです。

 

この大飢饉で趙が追い込まれた隙を突き王翦が攻め込んだのは明白です。

汚いと言えば汚いですが、飢饉や王の死去時を狙うのは当時の常套手段でした。


キングダム休載SPvol3「どうして幽繆王は讒言に乗った?」

王翦

 

紀元前229年、王翦は羌瘣と共に太行山脈を越え井陘を陥落させます。これに慌てた趙は、李牧と司馬尚(しばしょう)を派遣してこれを食い止めました。

王翦は、李牧と司馬尚を抜く事が出来ずに、密かに邯鄲の郭開(かくかい)に賄賂を回して、李牧が謀反を企んでいると讒言(ざんげん)したので、王はこれを信じて李牧を更迭しようとし、李牧が従わないので刺客を放ってこれを殺し、司馬尚は降格させて庶民に落とし、趙葱(ちょうそう)と斉将顔聚(がんしゅ)がこれに代わったとされています。

 

余り言及されないですが、この時の秦の作戦は二正面作戦でした。

上郡から南下する王翦と羌瘣に対し、楊端和は河内から北上して邯鄲を包囲しています。

史記の秦始皇本紀には以下のようにあります。

 

端和、河内に将たり、羗瘣趙を伐つ。端和、邯鄲城を囲む。

 

はい、この通り、趙は北と南でサンドウィッチであり邯鄲は楊端和軍に包囲されています。

もしかすると、郭開に賄賂を出したのは城を包囲している端和様かも知れません。

この状況で若き幽繆王は恐怖心でパニクり、郭開の讒言に易々と乗ったのかも知れません。

 

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キングダム休載SPvol3「食糧不足で軍を動かせない趙」

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

もう一つ、この戦いでは、援軍として(せい)から顔聚という将軍が出向して李牧と王翦に取って変わっています。しかし斉から援軍を請わないと動けないとは不思議な感じです。

それというのも、李牧は鄴が陥落した後に、秦の攻撃を二回も跳ね返し、領土の回復にも成功しているのです。

 

春秋戦国時代の最末期に、一時的にでも秦を撃退したのは、李牧と項燕(こうえん)だけなのですが、どうして直前まで勝ち続けていた趙が突然に斉から援軍を求めたのか?

ここには、大飢饉(だいききん)から来る深刻な食糧不足で自軍をろくろく動かせない趙の内情があるのではないでしょうか?

 

また、李牧や司馬尚も、よく守ってはいますが、積極的に王翦や羌瘣を攻撃していません。趙王としては、早く王翦を片付けて邯鄲の包囲を解けと言いたいでしょうが、李牧や司馬尚も、食料不足で積極攻勢に出られずに、ずるずると対陣が伸びたとも考えられます。

 

そこで郭開が、

「李牧が積極的に王翦と事を構えないのは、秦に降る密約があるためです。

李牧は名将であり、秦には脅威、降ると言えば喜んで迎え入れるでしょう」

 

このように趙王に繰り返し吹き込み、いよいよ不安になったので李牧を殺し秦に降るのを阻止したつもりだったかも・・


キングダム休載SPvol3「諸悪の根源は飢饉」

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

しかし、何が趙を滅亡に追い込んだのかと言えば、大地震と大飢饉でしょう。

農作物が豊かに獲れていれば、楊端和が邯鄲を包囲する前に打つ手があったでしょうし、李牧にしても、もっと積極的に攻勢に出て、王翦と羌瘣を撃破して引き返して楊端和を撃破して、邯鄲の包囲を解けたかも知れません。

が、、前年の大飢饉が全てを台無しにしました。

徴兵に応じられる農民は少なく、乏しい兵力で北の王翦に対峙した結果。南の守りは手薄になり簡単に楊端和の侵入を許し、ここで李牧が寝返れば趙は滅亡という重圧が幽繆王に郭開の讒言を信じさせたのです。

よりにもよって、このタイミングで大飢饉が起きてしまうとは、つくづく趙はツキに見放され秦はツキまくっていたのでしょう。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

歴史的大事件の背後に異常気象ありとは、よく知られている事ですが、趙の大地震も趙滅亡の決定的な原因になったのではないかとkawausoは考えます。もちろん、漫画としては秦の強さ補正を弱める為に、地震と大飢饉は触れないかもですが565mの亀裂が大地に入る地震は軽くはないと思います。

 

参考文献:史記

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コメント

  • コメント (5)

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    • 匿名
    • 2020年 3月 10日

    リーボックってちゃんと凄い武将だったんですね(愕然)

    • 邯鄲の夢
    • 2020年 3月 10日

    追撃戦。。。。挟撃か降伏か?そして○○(道場破りのように「頼もう!」と誰か叫んだのか?)
    まだまだひっぱります。一番大事な所が触れられず次号へ(肝心な糧秣どうするんでしょうかね?李牧軍が都合よく荷駄隊を置き去りにして逃走し、それを中の民がキャッチ?それとも残り8/10のために王翦が外で接収するのか。)

      • 邯鄲の夢
      • 2020年 3月 12日

      いよいよ開城???
      ブログ主の最新記事によれば開城とのこと。
      最新記事に満を持して読者コメントが沢山あると思いますので、当方は原作者が開城されたあとの鄴城内から出てくる民の扱いを李牧軍や王翦軍がどうするか推理します。キーポイントはやはり糧秣不足。
      開城が反乱で降伏なのか?単に飢えた民が城外へ出てきただけなのか?後者と推測して推理。
      出てきた飢えた民を桓騎軍はスルー、水の流れに逆らうことなく外へ出すだけで出すでしょう。出てきた民は李牧軍へ。李牧がどうするか?保護して邯鄲方向へ逃げ去る。糧秣を持ってきたと嘘を言って城内へ一緒にもどろうと説得?そのまま糧秣を捨てて隙を見て邯鄲方向へ逃走?王翦軍は飢えた民を邯鄲方向へ追い立てて邯鄲守備隊の足を止める策を図ると思います。飢えた民を趙が鎮圧すれば占領地の支配が楽になりますから。さて、原作者はいつ侵攻軍に糧秣を届けさせるのか?論功行賞でセイから信が将軍に任じられるのはいつでしょうね?

        • 邯鄲の夢
        • 2020年 3月 12日

        追伸
        鄴から邯鄲まで33キロほど、日本橋からだと横浜、府中、さいたま、幕張を結ぶ圏内。歩くと1日8時間時速4キロだと1日で着く距離,
        馬だともっと速く着くでしょう。李牧自慢のワープ航法馬ならさらに?
        邯鄲からの援軍阻止策が必要と思います。

          • 邯鄲の夢
          • 2020年 3月 14日

          ブログ主は王翦と李牧が鄴開城により王に無断で和睦を図ると?条件が黒羊要塞地帯と閼与を放棄して鄴までの補給路の確保を保証?
          うーん?キングダム的には列尾周辺から配下部隊を撤退させる方が現実的では?いずれ策を巡らし和睦を反故にして秦占領軍へ攻撃する腹だとしても、戦略的観点から鳥や伝令により李牧の命令を部下に指示するだけで素早く実行可能だが、長期戦のため要塞化した城壁都市や補給地から撤兵させるには王宮からの命令書など素早く履行するのはが難しいと思います。王翦が糧秣確保や補給路の担保に李牧と直ぐできそうもない提案に乗るとも思えません。むしろ趙王側近と独断で密交渉し、邯鄲を包囲攻撃しない代わりに鄴の占領を認めさせ列尾からの撤兵を持ち掛けるのでは?キングダム的にはいずれこの敗戦の責任を取って李牧は更迭されると推測します。(李牧が更迭の後に復帰すれば補給路を断つゲリラ戦を仕掛けると誰もが予想するでしょう)
          閼与攻略は8/10部隊説や秦本国部隊説がコメントの中では多いようですね?閼与の位置が謎で考古学的には和順県に閼与の遺跡もあるようですが、史記廉頗伝で有名な閼与の戦いの記述では邯鄲周辺の武安西25里プラス50里くらいが位置とすれば邯鄲から75里で
          75×0.5m=37.5kmとすると地図で見ると清漳河流域の渉県当たりが怪しいと妄想してます。河川交通の要衝で渉城跡もありキングダム的に要塞として描くにはもってこいの場所と考えます。


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