三国志演義を読んでいるととにかく大男が出てくるのが目に付きます。関羽や張飛、呂布などはやはり体格の良い大男、というイメージがある人は少なくないのではないでしょうか。
そんな中で逆に目立つのが、曹操。曹操と言えばその能力に反して小男、言い方を変えれば「チビ」の印象がありますね。今回はそんな曹操の「チビ」イメージを少し見直すお話をしましょう。
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曹操の「チビ」イメージは三国志演義出典?
良くイメージされている曹操の身長は約160㎝ほどです。確かにこの身長、成人男性として考えると小さいですよね。しかしこの身長の出典は三国志演義によるもの。
三国志演義では曹操は「身長七尺、細眼長髯」とされ、これは「身長約160㎝、目が小さくて長い髭がある」ということで、また三国志演義では関羽や張飛などが身長2m近いこともあり、曹操の小男っぷりが強調されているのです。
ですがこの記述はあくまで三国志演義、正史三国志には曹操の身長についての記載はありません。ただ、魏氏春秋には「姿貌短小」とあることだけはここに記しておきましょう。
当時の平均身長から曹操の身長を考えると
さて正史三国志での曹操の身長ははっきりと記されていませんが、三国志演義での約160㎝を基準にして考えて見ましょう。この身長は現代で見てもやや低身長ですし、この記述で曹操の身長が低身長と書かれている……が、当時の身長の平均はどれくらいだったのか?
三国志演義自体が後世の創作ですから三国時代の身長の基準とはまた違うようですが、三国時代当時は食料事情もあって、成年男子の平均身長は150㎝ほどであったと言われています。
これは栄養状態が良くない庶民の身長も含まれていますから、曹操のような家柄が良い人物ならもう少し身長が高かったと思われます。それを踏まえて考えると、曹操の身長が160㎝ほどとしてもそう低くはなかったのでは……?と思いますね。
春秋戦国時代を振り返ると……
ちょっとここで「家柄が良ければ身長が高くなる」についてお話しましょう。家柄が良ければ食事事情も良いのである程度の身体作りが可能になると思いますが、理由はそれだけではありません。
春秋戦国時代の斉では、体格のいい子孫を作るために後宮に入れる女性を160cm以上の者だけにしていたという話があります。つまりある程度良い家系であるなら、長身になる遺伝子を取り込んでいったのでは……と想像できる訳ですね。
家系は絶対ではありませんし、曹操の家系が長身を取り込んだ家系とははっきりしていませんが、遺伝子の面から考えてもそこまで低身長な家系ではなかったと思われます。
身長と人物の評価の関係
最後に少し、身長と人物評価に付いてお話しましょう。三国時代において、容姿は才能でした。身長が立派、体格が良い、容姿が良い、これはその人物の評価に繋がったのです。
実際に正史三国志を見てみると、何人か180㎝オーバーの人物が出てきます。曹操の周辺で言えば程昱や許チョなど、容姿の良さでは荀彧などが挙げられますね。普通の身長ならわざわざ記載しないと思われますから、この記載があるということは「優れていた」からこそ残されたのでしょう。
ということから考えると曹操の身長が低い、とわざわざ残されているのは「劣っている」ということでもあります。ただし曹操については、儒家との対立があります。つまり曹操の低身長をわざわざ論っているのは、曹操を非難したいからでは……?と筆者は考えてしまいました。
少々穿った見方ですが、曹操がやたらと小男と言われるのはとにかく曹操を非難したかったから、というのは理由の一つとして考えられるのではないかと思います。
三国志ライター センのひとりごと
何となく身長では小さなイメージがある曹操ですが、それ以外の面で曹操はそこまで非難されることはしていないと思います。寧ろ才気に溢れた、時流を見抜いていた人物だとすら思っています。
そう考えると曹操が低身長、というのはそこでしか曹操を非難できなかったからかな……?と思うのは、やや曹操よりの意見だったかもしれませんね。とは言え曹操は身長、体格で非難されたとしても、その評価を覆せるほどの才能を持った人物であったのではないか、それを曹操の身長から考えることができました。当時の身長比較は中々面白いので、曹操に限らず色々な人物の身長比較をして見て下さいね。
参考文献:世説新語容止篇 魏氏春秋 曹瞞伝
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