陸遜もお手上げエピソード!曁艶事件とは何か?

2020年4月8日


 

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劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

毎年会社では人事評価が行われます。私も会社で行われる人事評価にドキドキします。自信を持って臨むのですが、結果を聞くとガックリと肩を落とすものです。実は()(222年~280年)でも人事評価が行われていました。しかしその評価は非常に誤った評価方法であり政治事件にまで発展しました。

 

今回は呉の曁艶(きえん)という人物が行っていた人事評価にまつわる政治事件について紹介します。

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。

 

自称・皇帝
当記事は、
陸遜 エピソード」
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫権の君主権の確立

呉志(呉書)_書類

 

呉の黄武(こうぶ)元年(222年)に孫邵(そんしょう
)
が丞相に任命されました。彼は名前から孫権(そんけん)の一族のように思えるかもしれませんが全く関係ありません。孔融(こうゆう)劉繇(りゅうよう)と2人の主君に仕えてから孫権のもとに来た人物です。

 

呉の孫権は皇帝

 

この人事は孫権の指名でした。周囲は張昭(ちょうしょう
)
をガンガン推していたのですが、孫権はそれを無視して孫邵を任命します。

 

張昭

 

「丞相という職は多忙だから、年寄りの張昭を無理に推薦する必要ってなくない?」と孫権はみんなに言いました。だが、孫邵もこの当時で60歳。当時では長寿(ちょうじゅ
)
に該当します。孫権が周囲の意見を無視したことは意図があります。

 

孫権と張昭

 

孫権と張昭は昔から公的・私的なことで馬が合いません。家臣団の言う通りに張昭を丞相に任命すると君主権が軽んじられると、孫権は考えたのです。そこでみんなの意見に反対することで君主権の確立を目指しました。

 

曁艶の出現

水滸伝って何? 書類や本

 

ところがしばらくすると、曁艶という男が人事担当として現れます。曁艶は呉郡(ごぐん)出身の人物です。性格は自尊心が強くて人物批評を好んでいました。

 

朱治

 

親が罪を犯したので平民に落とされていましたが後に、朱治(しゅち
)
の推薦で役人になり、さらに張温(ちょうおん
)
庇護(ひご)を受けます。2人とも呉では有力な一族でした。曁艶は呉のセレブを後ろ盾に政界進出してきたのです。曁艶は良く言えば世渡り上手、悪く言えば虎の威を借るキツネでしょう。

 

戦で手柄を立てる朱治

 

曁艶は張温に頼まれて人事担当になりました。この当時、役所の人物は品行が卑しい者ばかりが多く、配属されていても不適当な人物ばかりでした。それに気付いた曁艶は同僚の徐彪と一緒に早速、人事刷新にとりかかります。勘が鋭い読者の皆様は、ここでピンとくるでしょう。実は人事刷新は張温・曁艶・徐彪の価値基準で決められていたのです。昇進も左遷もクビも彼らの自由。彼らの人事で降格を命じられなかった人は10人に1人もいなかったようです。

 

三国志を楽しく語る晃様

 

まさに呉はブラック王国・・・・・・

こんな国に就職したいと思う人は誰もいないはずです。

 

孫邵免職

歴史書をつくる裴松之

 

曁艶はある日、張温と協力して丞相の孫邵をクビにしました。陸遜はこの曁艶と張温の処置を止めましたが、彼らは全く耳を貸してくれませんでした。この事件は正史『三国志』に注を付けた裴松之(はいしょうし)が採用した『呉録』という史料に記されていますが、内容は詳細ではありません。

 

同年小録(書物・書類)

 

また、孫邵という人物も呉の初代丞相であったにも関わらず正史『三国志』に列伝がありません。このことを疑問視した東晋(とうしん
)
(317年~420年)虞喜(ぐき)は知人の劉声叔(りゅう せいしゅく)に尋ねたところ、彼は張温と孫邵の仲が良くなかったことを指摘しています。ただし、私は孫邵免職には裏があると見ています。実は張温は若い時に張昭から将来を託された人材でした。

 

「この老いぼれが、あなたに希望を寄せていることを覚えていてください!」と張昭は張温に言っています。

 

張昭

 

要するに張昭と張温は親分子分の関係だったのです。中国では昔からよくある話でした。前述したように張昭は周囲の推薦があったにも関わらず、孫権がゴリ押しプレイで丞相になれませんでした。カチンときた張昭は子分の張温を使って、「ちょっと、孫権を困らせてやれ」と命じたのかもしれません。そこで張温は部下の曁 艶を使って孫邵をクビにしたのでしょう。

 

後継者争いで悩む孫権

 

もちろん史料は残ってないので推測で語るしかありませんけど・・・・・・もちろん孫権だって黙っていません。あっさりと返り討ちにしました。曁艶を自殺に追い込み、張温を流刑にします。不思議なことに親分の張昭は何もお咎め無し!

 

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

世の中って理不尽!陸遜は曁艶が人事刷新を始めた時点で、危険なことで失敗する可能性があると見ていました。結末は予測通りでした。呉には早すぎる、改革だったのかもしれませんね・・・・・・

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

この曁艶事件は以前から書きたかった内容だったのですけど、短い内容であり、とにかく中身が複雑!まとめるのに3日もかかりました。登場人物は少ないのに、こんなにまとめるのに、時間がかかったのは久しぶりでした。久しぶりに良い仕事をしました。

 

※参考文献

・満田剛「韋昭『呉書』について」(『創価大学人文論集』16 2004年)

・渡邉義浩『図解雑学 三国志』(ナツメ社 2000年)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
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