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この記事の目次
魏延の作戦の欠点とは・・・?
魏延の作戦を諸葛亮が却下した理由としては、魏延の作戦では食料の調達、つまり現地で略奪をしなければいけないのがアウトだったのではないかと思います。長安での略奪が悪手なのはまず魏の統治が良く、民衆からの反感が強くなってしまいます。
しかも長安という場所で略奪を行うと昔の暴君、董卓とイメージがかぶってしまいますね。これでは蜀という国のポイントでもある「漢王朝の正当後継者」である、というイメージを掲げ続けられません。この点から政治家である諸葛亮は魏延の作戦を却下したのでしょう。
人知れず言われてしまう夏候楙
因みに魏延の作戦では「攻め込めば敵は逃げる」と言われていますが、ここを任されていたのは夏候惇の息子である夏候楙。ここで彼は他国である魏延にまで「臆病で無能」と逃げる理由を述べています。確かに夏候楙は一般的に金勘定にしか能がない、身内で揉め事を起こすなど、名家の出なのにろくでもない人物ではありますが、魏延にまでここまで言われるとちょっと同情しかかってしまいますね。
最後に。。。北伐の対処について
最後にちょっと魏のこの北伐の対処について触れておきましょう。魏では孟達がこの北伐に合わせて蜂起、司馬懿に鎮圧されるも他国からの侵略を警戒して大急ぎで長安に曹真らが向かわせられ、事ここに至ってもほぼ何も準備ができていなかった夏候楙は尚書令に栄転させてその後は曹真と張コウが蜀軍に対処しました。
夏侯楙への対処が甘すぎるような気がしますが、この当時皇帝が変わったばかり、皇帝の親類を処断すると動揺が広がる、そもそも追い詰められた夏侯楙に裏切られたら面倒、などが考えられるので円満に左遷したと言えるでしょう。当時の皇帝曹叡はまだ20歳未満であることを考えると、周囲の助けがあったとしても優秀なことが伝わってくる瞬間ですね。
三国志ライター センのひとりごと
個人的には、勝てる見込みがある魏延の作戦は取り入れても良かったのではと思います。しかし政治家として諸葛亮は先を見ていた、魏に勝っても国に付いてくる民衆がいなくなってしまっては、と思ったのでしょう。ここは魏延のような軍人と、諸葛亮のような政治家の考えの違いが見て取れます。
三国志演義では魏延と諸葛亮の対立の一幕の強調に見えますが、正史を共に追っていくと現代でもあり得る構図に見える北伐。三国志演義においては既に終盤ですが、見直してみると色々な面が見えてきて面白いので皆さんもこの三国志終盤を見返してみて下さいね。
参考文献:蜀書魏延伝 魏略
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