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戦国ライター YASHIROの独り言
では、その家康が大阪の陣でいきなり牙を剥いたのはなんなのでしょうか?
さすがに本人も七十歳を超えて焦りが出たのと、
ちょうど浪人たちがうまく大阪城に集まってくれたので、「一網打尽に皆殺しにできる最後のチャンス」と勝負に出たのか。
いずれにせよ、大阪の陣が終わった後、戦国時代はすっかり昔のことという「常識」が世に蔓延し、「浪人」というのも徳川家の直接の脅威ではなくなっていたのでした。
「仕事がない」と嘆く大勢の人たちと、「なんとか対策を打っていかねば」と焦る権力者。
そんな今とたいして変わらない構図があったとみると、この時代の見方もずいぶん変わってくるのではないでしょうか。
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