関ヶ原の勝利後、家康が14年も豊臣家を滅ぼさなかった理由


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14年も豊臣家を滅ぼさなかった理由(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

では、その家康が大阪の陣でいきなり牙を剥いたのはなんなのでしょうか?

 

さすがに本人も七十歳を超えて焦りが出たのと、

ちょうど浪人たちがうまく大阪城に集まってくれたので、「一網打尽に皆殺しにできる最後のチャンス」と勝負に出たのか。

 

いずれにせよ、大阪の陣が終わった後、戦国時代はすっかり昔のことという「常識」が世に蔓延し、「浪人」というのも徳川家の直接の脅威ではなくなっていたのでした。

 

「仕事がない」と嘆く大勢の人たちと、「なんとか対策を打っていかねば」と焦る権力者。

そんな今とたいして変わらない構図があったとみると、この時代の見方もずいぶん変わってくるのではないでしょうか。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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