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この記事の目次
転職する部下を喜んで送りだした高虎
藤堂高虎というと、主君を何度も変えた風見鶏のように江戸時代には見られていましたが、戦国の世では、主を変えるのは当然で、むしろ武功を上げて感状を受けると、それを持ってもっとランクの高い大名家へ自分を売り込む事さえありました。
高虎は、自分ばかりでなく配下の部将にも転職の自由を認め、他家に仕官する部下に対しては歓送会を開き、自分の愛用の品を贈って激励したそうです。
さらに、部下が夢破れて帰ってくると何も言わずに元の地位に就けてやったそうですから、風見鶏の評判とは違い、部下の心が分かる人物でした。
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は落城した大坂城に残された金銀の事について書いてみました。
戦国時代の日本は、世界有数の金銀の産出国であり、豊臣秀吉はその豊富な金銀を使い、大判、小判を通貨として流通させて、日本に金・銀・銅の三貨制を根付かせ、物流の利便を図りましたが、その過程で溜め込んだ金銀は莫大だったようです。
徳川家康は、その莫大な金銀を幕府財政の要として是非欲しかったのでしょうね。
参考文献:日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末近代の謎まで 中公新書
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