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祖茂とはどんな人?元祖ワンポイントリリーフの功績は?【年表付】


 

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海賊時代の孫堅

 

ワンポイントリリーフとは、プロ野球などで守備チームが攻撃チームの、ある打者のみを打ち取る目的で救援投手を起用する戦法を意味します。ただのリリーフなら、さらに続投する事もありますが、ワンポイントリリーフは、特定の打者を打ち取るか打たれれば出番終了です。

 

赤い毛織の頭巾をかぶった祖茂

 

呉の祖茂(そも)は元祖ワンポイントリリーフとして孫堅(そんけん)の窮地を救い、歴史のマウンドを降りた小粋(こいき)な武将なのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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董卓の奇襲に落ち着き払う孫堅

董卓

 

祖茂は孫堅に親しく近侍(きんじ)する旗本として登場します。西暦191年、孫堅は南陽太守袁術の配下として行破虜(ぎょうはりょ)領豫州刺史(りょうよしゅうしし)となり、魯陽(ろよう)で兵を訓練させていました。

洛陽城

 

そこから、因縁深い董卓(とうたく)を討とうとしますが、その前に兵糧を集めようと公仇称(こうきゅうしょう)に兵を率いて州に還す事に決め、その歓送迎会で、城の東門に幔幕を張り巡らし魯陽の官人は全員参加しました。

 

ところが、その時、董卓はすでに歩騎数万を魯陽に派遣し、その先鋒数十騎が魯陽に到着します。孫堅はこの時宴もたけなわでしたが、部曲に命じて兵士に騒がないように命じ、しばらく様子を見ました。

孫堅

 

やがて、董卓の騎兵が次々に到着すると孫堅は宴会を打ち切り、官人に自分についてくるように命じてから引率して入城しました。それからおもむろに

「私が、即座に宴席を立たなかった理由は、兵が騒いで錯綜(さくそう)し諸君が入城できないのを恐れたためである」と告げたのです。

一方で董卓軍の騎兵は、孫堅が落ち着き払い整然と入城したので、これは容易に落とせないとして引き上げました。落ち着き払った孫堅の頼もしい様子が伝わります。

 

祖茂、孫堅の赤頭巾を被り注意を逸らす

炎上する城a(モブ)

 

その後、孫堅の軍勢は梁東に移動しますが、そこに董卓軍の名将徐栄(じょえい)が襲い掛かり、孫堅は数十騎と包囲を突破して脱出します。もちろん徐栄が逃がすわけはなく猛追撃が開始されます。孫堅はトレードマークとして赤い毛織の頭巾を被っていましたが、追跡を免れようと近侍の祖茂に赤い頭巾を被せました。

 

祖茂「お任せください」

 

孫堅の身代わりになり逃走する祖茂

 

ワンポイントリリーフの祖茂は、孫堅からはぐれて単騎で驀進(ばくしん)します。もちろん、赤ずきんの主が孫堅から祖茂に代わったとは夢にも思わない徐栄軍の騎兵は、孫堅だと信じて祖茂を追い駆けます。隙を突いて間道に入った孫堅は何とか逃れます。祖茂ワンポイントリリーフ成功です。

 

呉の武将

 

祖茂は逃げ切れるか?

李傕、李カク、孫堅

 

孫堅は助かったものの、身代わりの祖茂は次第に追い込まれていきました。しかし、たまたまそこに焼けた家屋があり、黒焦げの大黒柱が突っ立っています。閃いた祖茂は馬から降りると、赤頭巾を大黒柱に被せて草の中に伏せました。徐栄軍の騎兵は、遠目に赤い頭巾を見ると逃げられないように何重にも取り巻いて包囲し、じりじりと近づきますが、それが柱だと分ると立ち去ります。

董卓

 

この時に、窮地を逃れた孫堅は陽人(ようじん)の戦いで、董卓軍を打ち破り華雄(かゆう)を縛り首にする戦果を挙げ、これで孫堅を恐れた董卓は孫堅を懐柔(かいじゅう)しようとしますが失敗。やがて、洛陽を焼き払い長安に遷都(せんと)していくのです。

 

で、祖茂はどうなった?

kawauso

 

いやー、良かった良かった、無事に孫堅を救った祖茂ナイスワンポイントリリーフでした。というわけで、今回のはじめての三国志はおしまい・・・

内容に納得がいかないkawauso様

 

え?その後、祖茂はどうなったのかって?

それがですね、正史三国志には以後、祖茂という人物は登場しないんです。文脈を見る限り、祖茂は殺されずに孫堅に合流したと思いますし、命の恩人である祖茂を孫堅が粗略に扱うとは思えないんですが・・・・。

 

亡くなる孫堅

 

そもそも、徐栄の騎兵を欺いたと書いてある以上、祖茂が生還したのは間違いないと思うのですが、いかんせん、その後は不明で、本当にワンポイントリリーフで歴史のマウンドから消えてしまったのです。そんで、その消えてしまった祖茂の存在は三国志演義にも影響を与えます。

【次のページに続きます】

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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