桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に勝利した理由は単純に織田軍が既に強かったから?

2020年6月4日


 

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今川義元

 

織田信長の華麗な生涯の中でも、特に有名な、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい
)
。一般には、「京都への上洛(じょうらく
)
を目指して進軍中だった今川義元(いまがわ よしもと
)
の大軍を、織田信長がわずかな手勢を引き連れて奇襲し、大将である今川義元の首を取って大逆転した合戦」と言われています。

 

天下布武を唱える織田信長

 

無名時代の織田信長が、天下取り直前だった今川義元を討ち取る大金星をあげたことで、一躍その名を天下に知らしめ、織田家の家臣団からも信頼も集めることができたというのが、様々なドラマや小説で描かれている展開となります。

信長公記_織田信長_書類

ところが、歴史というものはとにかく、「新解釈」がどんどん出てくるもの。この桶狭間の戦いについても、最近の研究では、新しい見解がどんどん付け加えられています。その中には、桶狭間における信長の勝因として一般に知られている、

寄親・寄子制を導入する今川義元

 

・今川義元は京都への上洛をゴールにしていたため、破格の大軍を率いていた

・織田家の領土はただの通過点とみなしており、大軍で一気に粉砕するつもりでいたため、信長の行動に対しては油断していた

 

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

・信長はわずかな手勢を率いて奇襲をかけ、今川義元の本陣を攻撃した

・幸運にも支えられた奇跡の逆転勝利となった

という通説の根底を覆すような新説も含まれているのです!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも今川義元は油断しておらず、信長潰しのガチ勝負を賭けてきていた!

鉄砲隊を率いる今川義元

まず「今川義元は大軍を率いて上洛中だった」という定説を検討しましょう。桶狭間の戦いに参加した兵力は、これまた諸説ありますが、どうやら今川義元側は2万程度の軍勢だったようです。これは確かに、大軍と言えるでしょう。

 

武田二十四将(馬場信春)をメイン

 

ですが同時代の日本における合戦を見ると、

川中島の戦い(かわなかじまのたたかい
)
での、武田信玄(たけだ しんげん
)
の軍が2万程度とされている

武田信玄-vs-上杉謙信

 

・それに対抗した川中島の戦いでの上杉謙信(うえすぎ けんしん
)
の軍も2万程度とされている

毛利元就(もうり もとなり
)
の躍進の原動となった厳島(いつくしま)合戦での、陶晴賢(すえ はるかた)の軍も2万程度とされている

 

ということで、今川義元ほどの名門の戦国大名であれば、2万人はひとつの合戦に動員できる兵力としては常識的だったという見方もできるのです。

 

今川義元

 

これの何が問題かというと

・ひとつの合戦への動員数としては総力を挙げている

・だが破格の兵力を準備したとまではいえない規模

・京都に上洛して天下を狙う野心があったにしては心もとな

ということです。

 

悪い顔をしている今川義元

 

今川義元の軍事行動は、もしかすると天下取りという大掛かりな構想によるものではなく、「将来の禍根になりそうな織田家を、全力で潰しておく」という現実的な目標を据えてのものだった可能性があるのです。

資金が豊富な織田信長

 

だとすると、「織田信長のことは眼中になく油断していた」という定説とはずいぶん違う印象になります。この時の今川義元の目標は信長潰しだったということで、むしろ本気の勝負で挑んできていた可能性が出てくるからです。

 

今川家は織田家に苦汁を飲まされていた?尾張国をめぐる壮絶な支配権争い!

馬に乗って戦う若き織田信長

 

ここで注目すべきことは、今川家は現代でいう静岡県、織田家は現代でいう愛知県の半分(尾張国(おわりのくに))を領土としていたのですが、当時の織田家はまだ尾張国を統一するための激しい争いの中にあったということ。

 

織田信秀(おだのぶひで)は信長のお父さん

 

そして尾張国の支配をめぐる事実上の頂上対決が、信長の父の織田信秀(おだ のぶひで
)
時代から、既に「織田家VS今川家」の抗争となっていたということです。そもそも現代の名古屋城(当時の呼び方は「那古野城(なごやじょう
)
」)自体、もともと今川家の拠点だったものを、織田信秀が奪い取ったものなのです。

 

・今川家としては、もともと、尾張国も勢力圏の一部とみなしていた

・そこに織田信秀という英雄が登場して尾張国の統一に向けて快進撃を始めたため、危機感をもっていた

・その信秀が死んで若い息子(信長)が跡を継いだと聞き、織田家を潰して尾張国を取り返すチャンスと見た

 

これが、今川義元が油断していたどころか、信長潰しを狙って本気で仕掛けてきていたと推測できる背景です。

 

定説をくつがえすもうひとつの視点:「織田信長はめちゃくちゃ強い」と既に近隣に評判だった?

足軽a-モブ(兵士)

 

いっぽうで、信長の軍勢を見てみましょう。この桶狭間の合戦で信長が率いた兵力は、2,000人程度といわれています。もっとも、これは今川義元の本陣襲撃の際に引き連れていた本隊が2,000人という意味であり、織田家の総兵力は5,000人程度存在したとされています。攻める側が20,000で、守る側が5,000人。たしかに今川氏有利ですが、それほど決定的な兵力差というわけでもありません。

 

織田信長

 

まして当時の織田信長は、既に尾張国内の統一戦争で数々の勝利をあげていました。伝説となっている「若いころから奇抜な恰好をして狩りや乗馬をしていた」という話も、自分と同世代の少年たちと常に山野を駆け巡って、信頼のできる手飼いの精鋭部隊を育てていたという解釈もできます。

悪い顔をする斎藤道三

 

そしてこの時期、かの美濃国(みののくに
)
斎藤道三(さいとう どうさん
)
も織田信長の才能を認めており、「美濃国はやがてあの男のものになるかもしれない」と周囲に話していたという話もあります。あのマムシの道三すら認めている男ということで、今川義元も十分に信長を警戒していた可能性が高いのです。

 

まとめ:織田信長軍は桶狭間の合戦前から既に最強レベルの精鋭に育っていた?

斎藤道三

 

その斎藤道三を驚かせたのは、正徳寺(しょうとくじ)の会見の際に、信長が引き連れてきた兵士がきらびやかな甲冑で着飾り、鉄砲をズラリ装備し、整然と行進していたということ。

 

「よく訓練されている上に、武装もよいものをそろえている!」と道三を感心させたようです。

 

戦国史ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

一流の戦国大名である斎藤道三をすら驚かせたという精鋭部隊を、既に信長が完成させていたとしたら?

 

今川義元は油断どころか、「なんとか信長を若者のうちに潰しておかないと、おそろしい存在になる」という恐怖から、思い切った総力戦を仕掛けてきていたのだとしたら?

鼓膜が破れる程声がデカい織田信長

 

奇跡の逆転劇と伝えられる桶狭間の合戦の印象はガラリとかわり、旧世代に属する今川義元が、新世代の天才たる信長に挑んだものの、見事に返り討ちにあった、という見え方になってきます。この解釈、これはこれで「信長はおそろしい男だった」ということになり、信長ファンの人にも魅力ある仮説となっているのではないでしょうか?

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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