街亭の戦いで蜀が勝っていたら?電撃作戦を狙っていた北伐【if三国志】

2020年6月20日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

三国志(歴史)を誇張しまくる羅貫中 ver2

 

歴史に「もしも」はないとは言いつつも、ついついあそこでああしていたら、こうしていたらを考えてしまうのは良くあることです。そこで今回のテーマとしては「街亭の戦い(がいていのたたかい
)
で蜀が勝っていたら?」を考えてみたいと思います。今回はかなりスパイシーな内容でお話させて頂きますので、どうぞ口直しのお水を用意してお読み下さい。

 

第一次北伐・街亭の戦い

北伐を結構する孔明

 

まず初めに北伐(ほくばつ)、街亭の戦いについて少しおさらいをしましょう。街亭の戦いについては228年春に行われた第一次北伐です。この際に諸葛亮(しょかつりょう)は偽の情報を流し、趙雲(ちょううん)らを囮として西から祁山(きざん)を攻めました。

 

 

魏では曹叡(そうえう)が早く行動して曹真(そう しん
)
らを向かわせ、曹真は蜀に押さえられた北に(ちょう)コウを向かわせます。

敵に囲まれる馬謖

 

この時に諸葛亮は街亭で張コウを抑えさせるために大軍を馬謖(ばしょく)に任せるも、馬謖は諸葛亮の指示には従わず、副将の王平(おうへい)の意見も聞かず、大敗。諸葛亮はこの敗北を聞いて進軍ルートを失ったと軍を引いてこの第一次北伐は終了します。

 

第一次北伐の諸葛亮の目的は?

北伐する孔明

 

さて第一次北伐の流れを簡単に説明しましたが、ここで皆様も気付いたことでしょう。そう「第一次北伐の目的は何か」が、これでは分からないのです。長安(ちょうあん)まで攻め込める気だったのでしょうか?

 

スキッパーキ(はてな)

 

それともルートの確保だったのでしょうか?

というか諸葛亮はどう動くつもりだったのでしょうか?

この辺りは書き記されていないので、基本的にこの時の諸葛亮の考えや目的は後世の人々の想像の範疇を出ないのです。

 

どうして街亭の戦いで馬謖が名を挙げられるのか?

馬謖

 

そしてここで少し考えておきたいのが、街亭の戦いに付いてというと良く言われる「馬謖が上手くやれば」「そもそも諸葛亮が馬謖に一部隊を率いさせなければ」という話。

 

山頂に陣を敷いた馬謖

 

筆者はこの第一次北伐でこのような話になりがちになる理由として、諸葛亮の第一次北伐の目的がいまいちはっきりしていない、諸葛亮の動きがどうだったのかが良く分からない、結果として馬謖が防戦をしろという命令に背いて山に登って負けてしまった、諸葛亮の目的は分からないけどとりあえず馬謖は失態をしたのは間違いない……ということでやたら馬謖がやり玉に挙げられてしまっていると感じます。

 

第一次北伐の概要とは?

水路を断たれ残念がる馬謖

 

因みに第一次北伐は228年の春に行われ敗北、撤退。そして同年冬に諸葛亮は再び北伐を決行しています。敗北して撤退、そこから立て直して色々な処理をして……と考えると、第一次北伐の行われていた時間はむしろ短い期間で行われたと推測できるのです。

 

北伐でやりあう曹叡vs孔明

 

つまり第一次北伐の概要の一つは電撃作戦であったのでは?と思います。時間をかけずに速攻で、魏が対応する前にある程度自陣を固めておきたかった……しかし曹叡が即座に対応、そこから曹真と張コウが諸葛亮の想定以上に早く対応してそこに馬謖の失態まで重なってしまった、というのが第一次北伐の概要ではないかと思うのです。

街亭の戦いで勝っていたら……?

三国志を楽しく語るライターセン様

 

さてここまでは前提として説明させて頂きました。ここで筆者の考えを正直に言わせて頂きましょう。

 

「街亭の戦いで勝っていたら」は「想像できない」と言わせて頂きます。

 

張コウ 張郃

 

あまりにも魏の戦力が強大で、指揮官や武将たちまで優秀なのです。曹叡たちが早期に対応した時点で第一次北伐の勝利は既になかった……そしてこの街亭の戦いで勝てたとして、陣地を得たとしても、そこから長安に攻め込めたとしても勝てたでしょうか?

 

四輪車に乗る孔明

 

蜀という国から魏に多少なりともプレッシャーは与えられたかもしれませんが、それ以上のことは難しすぎて想定ができないというのが筆者の正直な意見ですね。

 

馬謖について

馬謖に魏打倒を叩き込む諸葛亮孔明

 

ここで少し、馬謖についても話しましょう。馬謖は優秀だったのかもしれませんが、実は馬謖についてはほとんど経歴が謎なのですよね。才能はあった、弁論に付いて長けていた、南蛮(なんばん
)
で心を攻めることを進言した……というように優秀さの片りんは伝わりますが、馬謖は史書に伝がありません。

 

馬良

 

馬謖の記述は兄である馬良(ばりょう)、特に優秀と言われた「白眉(はくび
)
」の語源となった馬良の伝、その他の諸葛亮や王平の記述から読み取るしかありません。そう思うと馬謖がわざわざ防衛ではなく戦おうとしたのは馬良に対するコンプレックスのようなものがあり、何とか手柄を立てようとしたのかな……なんて考えてしまいますね。

 

馬謖から分かる当時の蜀

夷陵の戦いで負ける劉備

 

ただ馬謖から、当時の蜀が抱えていた問題を読み取ることができます。この第一次北伐より前に、夷陵(いりょう)の戦いがありますね。そして夷陵の戦いで多くの次世代たちが戦死してしまいました。

 

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

つまり蜀は慢性的な人手不足であったと予想されます。その結果、馬謖のように「優秀であっただろうに、実戦経験が薄いまま採用されて大失敗」ということが起こっていると思われます。既に人材を育てる時間がない、そんな蜀の状況を馬謖は表していると思いますね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

個人的な意見ですが、街亭の戦いは「ああしていたら」「こうだったら」が「勝てた」に繋がらないのです。むしろ街亭の戦いとは「勝たなければならなかった」戦いでした。

 

つまり敗北してしまった以上、ここから先はほとんど無くなってしまったのでは……そう思うと末期の蜀の暗い未来を表してしまった一線ではないかと思います。

文:セン

 

参考文献:蜀書諸葛亮伝 王平伝 馬良(馬謖)伝

関連記事:街亭の戦いを考察!馬謖は空腹で負けたのではないか?

関連記事:戦犯・馬謖!もしも街亭の戦いをラーメン店に例えたらこうなりました

関連記事:馬謖の息子はどうなった?街亭の戦いの失敗による処罰で影響はあった?

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学
-, , ,