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この記事の目次
織田信長を演じた高橋英樹さんの人気がスゴかった
高橋英樹さんは、昭和43年(1968年)の大河ドラマ『竜馬がゆく』で武市半平太を演じています。こちらも原作は司馬遼太郎先生ですね。この演技で司馬先生は高橋英樹さんのことをとても気に入って、存命中の原作大河ドラマには必ず重要な役で起用したそうです。
その最大のヒットがこの織田信長役でした。自身のキャリアでも転機となった作品と語っておられます。斎藤道三を演じた平幹二朗さんもつい。
「うらやましかった」と言ってしまうほどの国民的な人気ぶりでした。その人気に応えるように高橋英樹さんも織田信長を熱演します。
「セリフを覚えようとしなくても自然と出てくる時がある」と発言するほど、自分にぴったりだと感じていたそうです。さらに役に入り込んで「自分は信長の生まれかわりだ」とまで口にしたとか。
明智光秀、豊臣秀吉、濃姫も人気に
織田信長の脇を固めた人たちも素晴らしい演技で話を盛り上げます。明智光秀役だった近藤正臣さんは、それまでは男前としての役が多かったのです。ですが、明智光秀は日本の歴史上最も有名な裏切り者です。そんな難しい役を見事に演じ、このことが後の役者人生に大きなプラスになったと語っておられます。
豊臣秀吉(木下藤吉郎)役の火野正平氏の役作り
一方、豊臣秀吉(木下藤吉郎)役の火野正平さんは、型破りな役作りを行います。それはなんと、大阪の果物店でばれないように勤務するというもの。その間約3か月!
そこで培われた人あたりの良さや口の上手さなどが、まさに藤吉郎でした。濃姫役に抜擢された松坂慶子さんは、初の時代劇となります。しかし、おっとりとおおらかな演技で、とてもそうは感じられません。現場の方々からも萎縮している様子など伺えなかったようで、将来は大物になると噂されていたとか。
斎藤道三のイメージを決定付けた功績
斎藤道三のイメージは、この作品により明確になったと言っても過言ではありません。それまでは、計略や裏切り、下克上などでのしあがった悪い人のイメージでした。また、そこに息子と関係が上手く作れなかった人格破綻者のような印象もありました。
ですが、原作を含め『国盗り物語』では、違った斎藤道三を見せてくれます。それは、教養が深く口がうまく、賢くてしかも強いといったスーパーマンです。(織田信長のイメージにも重なりますよね)
まあ、だからこそ方法はともかく、一国の主にまでになったのだと。確かに行ったのは平時では考えられないことばかりですし、その時代でも人から謗られる過激な面もあったでしょう。ですが、それでも一介の僧侶が、大名にまでになったのです。その功績は評価されてもいいのではないか、という肯定的な描き方でした。
また、織田信長を高く評価していたという人を見る才能もきちんと描かれています。しかし、またそのことで息子の義龍との確執を深めることになりました。しかも、織田信長に美濃を譲るという遺言を送ります。それにより、後年織田信長に美濃を攻める口実を与えることになります。そのあたりはまた別の機会に。
司馬先生は、当初は斎藤道三のみの話を考えていたとか。ですが、それだけでは弱いという編集者の意向から、その遺志を受けついだ織田信長と明智光秀という2人を軸に後半の構成を練ったといわれています。
『麒麟がくる』では斎藤道三は1代で大名になった通説を修正
蛇足ですが、最近の研究では、斎藤道三は1代で大名になったのではないという見方が通説になっています。お父さんと親子2代で徐々に上りつめたようです。そのあたりは、『麒麟がくる』ではきちんと修正されています。
本木雅弘さん演じる斎藤道三が「わしの父親は、もともとはただの油売りであった」というようなセリフがありましたね。しかしまあ、本木雅弘さんのかっこよかったこと。
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