袁家の凄さは叔父・袁隗にあり?袁紹を立派に育てた?

2020年8月5日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

曹操にコテンパにされる袁紹

 

以前にもいくらかお話しましたが、今回は袁紹(えんしょう)について再びお話しましょう。曹操(そうそう)の噛ませ犬扱いにされることが多い袁紹ですが、他の三国志の英雄たちに引けを取らないとても魅力的な人物でもあります。

 

袁紹

 

そんな袁紹は名門、名族と言われるけれど、そもそも袁家はどれほど凄いか良く分からないという人も多いと思います。なので今回はどれだけ袁家は凄いのか?について解説していきましょう。袁紹を育てたとも言われる叔父・袁隗(えんかい
)
についてもご紹介しますね。

 

名族袁家に生まれた袁紹

袁紹の妃 劉氏

 

さて名族、名家出身の袁紹。良くお金持ちのボンボンのように思われることがありますが、袁紹自体は実はそこまでボンボンではありません。以前にもお話したことがありますが、袁紹の母親は身分の低い女性でした。

 

後継者を決めずにダラダラする袁紹

 

もしかしたら侍女にお手つきして生まれた可能性がある袁紹、そんな彼は「凡才であれば名が史書に記録されるような立場にはなかった」と言われる存在だったのです。よく彼が自分の家が名家であることを誇っているような設定にされますが、その家の中で自分の身分が低かったと考えると何だか少し袁紹の見方も変わってくると思います。

 

名家袁家はどの辺が名門なの?

朝まで三国志 袁紹

 

そんな袁紹は名門、名家袁家の出身……と言われても、どの辺が名家なのかについても少し説明しておきましょう。袁家は四世三公(しせいさんこう)を輩出した名家です。この「四世三公」というのは四世代に渡り三公という役職を輩出した、という意味です。そして三公とは「太尉(たいい
)
、司徒(しと
)
、司空(しくう
)
」という官職であり、これは要職でもあり当時の最高位となります。

 

三公ってどれだけ凄い?

曹操丞相えらいねんで!

 

と言われても三公の凄さは伝わりにくいと思いますので、もう少し三公について解説を。当時の三公は国政に関する政策全般を統括する官職でした。現代で言ってしまえば政治家のトップクラスと言っていいでしょう。因みにこの三公は日本にもかつてあったもので、律令制における太政官の長である太政大臣、左大臣、右大臣のことを指示していました。ただし後にこの三公は曹操によって廃止されてしまいます。

 

袁家の凄さ

袁術 袁紹

 

では袁家の凄さを再び解説するために、四世三公に戻りましょう。四世三公とは四世代に渡り三公という役職を輩出したという意味、これの凄い所は「三公」を「四世代」に渡って輩出しているという所です。一人出ることならば有り得るでしょう。しかし四世代もの長きに渡ってというのは中々有り得ることではありません。長い年月の中で袁家がどれだけ優秀な家系を持ち、力を持っていたかも分かるというものです。

袁紹の叔父・袁隗

袁術君10 リーダーシップの高め方を学ぶ02 袁隗

 

ここで袁紹の叔父である袁隗(えんかい
)
について説明します。袁隗は袁湯(えんとう
)
の子で、はっきりと名前が残ってはいないのですが袁湯には男子が12人いました。その内名前が分かっているのは早逝した袁平(えんへい)、袁紹の父であるやはり早逝した袁成(えんせい)、袁家後継者となった袁逢(えんほう
)
、そして袁隗です。そして袁隗は兄の袁逢よりも先に三公となり、司徒に二度就任しています。

 

四世三公の三公である司徒に兄よりも早く、二度、在位も長かったことから袁隗はかなり優秀な人物であったことが分かりますね。しかしそんな袁隗は甥である袁紹が反董卓連合を結成したことによって董卓に殺害されてしまうのです。

 

袁隗が袁紹を立派に育てた?

袁隗

 

袁紹は幼い頃に父親が死んでしまったので、叔父である袁逢、袁隗によって育てられたと言います。二人の叔父は成人前から袁紹に期待をかけていました。

 

若い頃の袁紹と曹操は仲が良い

 

そんな袁紹も若い頃は素行が悪かったのですが、それを見咎めた袁隗は「お前は袁家を滅ぼすつもりか」と厳しく非難、指導したので袁紹も反省し、立派に成長したと言います。これが本当であれば兄の遺児、それも母親の身分が高くない甥を三国志に残る英雄たちの一人として育てたのは叔父である袁隗ということになりますね。

後漢書(書類)

 

……と言う言い方にしたのは、実は後漢書(ごかんじょ
)
の袁紹伝では「袁紹は悪ガキでおじさんに怒られたりしたけど反省しなかったよ」とさり気なく三国志の袁紹伝とは違うことが書かれているからです……どっちなんでしょうか?

 

袁家を背負う重責

袁紹

 

さて袁家は間違いのない名家であり、袁紹はその袁家を背負って立っていたと言っても過言ではないでしょう。そして三公を輩出した家の一人として、重責を負っていたのではないでしょうか。だからこそ個人的には、袁紹は名家の中でも自分の身分でも「何か」を「やろう」としていたのではないかと考えてしまうのです。

 

董卓

 

漢王室は既に失墜、董卓(とうたく)という暴虐の徒が出現、混乱する国の中でなお、袁紹は何かを成し遂げようとしていたのではないかと思います。もっと袁紹が長く生きていればそれが見れたのかな、なんてちょっとセンチメンタルな気分になってしまいますね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

個人的な意見になりますが、袁隗という叔父に厳しく育てられたからこそ袁紹は腐ることなく袁家を背負っていけたのだと思います。しかし結果的に袁家を潰してしまった袁紹の息子たちを育てたのは袁紹自身……そう考えると、教育というのは大事だなぁとも思ってしまうんですよね。

 

もしかして自分が子供の頃から苦労したから子供にはそうしたくなくて……自分が生きている内に色々やっておけば大丈夫と思っていたのかな?……と、袁紹について色々考えてしまうのでした!

 

参考文献:

魏書公孫サン伝 魏書袁紹伝 董卓伝

後漢書 袁紹伝

袁隗 wikipedia

後漢書注釈『風俗通義』

 

関連記事:【袁家ファン必見】袁家はどうやって名門になったの?汝南袁氏の基礎を築いた袁安(えんあん)が超苦労人だった

関連記事:官渡決戦は寛治vs猛政統治モデルの激突だった!

関連記事:楊彪(ようひょう)は袁術の義弟なのになぜ董卓に殺されなかったのか?

 

『伝説の企画 朝まで三国志 最強のワルは誰だ』

朝まで三国志1

 

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学
-,