【水滸伝】王進(おうしん)とは何者か?史進の師匠の強さと消えたその後の謎

2026年9月19日

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

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水滸伝 王進

 

水滸伝、最初の英雄である王進を皆様はご存知でしょう……愚問でしたね。そう、水滸伝に今しがた浸かり始めた方から。水滸伝にどっぷりしっかり頭の天辺から足の踝まで。水滸伝を読んだ方ならば、真っ先に出会う英雄こそが、王進、いえ、王進先生です。少々、課題解釈でしょうか?いいえ、そうではないはずです。今回はこの王進について、様々な観点から語らせて頂きたいと思います。

 

この記事の目次

水滸伝の幕開けを飾る「王進」とは何者か?

ポイント解説をするセン様 ポイント

 

さてさて、ではまず水滸伝について全くの初心者、まだ入り口をどこにしようか悩んでいる方に、王進を紹介しましょう。王進とは、水滸伝における百八星の中で一番初めに登場する豪傑、史進の師匠です。そも、この史進が最初に登場するので初期における印象深さが深く、数多くの水滸伝登場人物の中でも九紋竜・史進は覚えやすいのではないでしょうか。その師匠ということもあり、水滸伝入門者ほど覚えがめでたいのが王進ですね。

 

八十万禁軍教頭というエリート武官の地位

 

ではこの王進の経歴についてのお話も少し。実は王進は、武術の達人も達人!なんと八十万禁軍の教頭、つまり武術師範を務めていました。家族は父親こそ既にありませんが、母君はまだご存命。しかしこの母は既に60歳を過ぎており、老齢と言って差し支えない年齢。この老母と二人で暮して世話をしつつも、エリート武官の地位に付いているというまるで主人公のような立ち位置です。

 

 

たった数話の登場で読者の心を掴む「大人の魅力」

 

この王進先生……コホン、なぜ王進先生とファンの間で呼ばれるかというと、後々に出てくる九紋竜・史進の師匠となるからです。しかし水滸伝の中である意味、最初の登場人物、様々な豪傑たちの宝庫である話の中で「如何にも!」豪傑と言われてもおかしくない風体、出身、そしてそれに相応しい能力。更には水滸伝の最悪役であるあの高俅に因縁を付けられてそれらの地位を失い、母と共に苦難の道のりを逃げ延びねばならない理不尽な展開と、それでも生き延びようとする不屈の精神……!

 

これらが相まって、数話の登場でありながら強烈な印象を水滸伝の世界に入った私たちに与えてくる存在こそが、王進(※敬称略)なのです。ではそんな王進の苦難の始まりからご紹介していきましょう。

 

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水滸伝入門ガイド

 

 

なぜ王進は都を追われたのか?高俅(こうきゅう)との因縁

高キュウ(高俅)

 

その始まりは「あの」高俅が殿帥府太尉に着任した時から。役人たちはこぞってご挨拶に向かいます。が、この時に運が良いのか悪いのか、この半年前から王進は体調を崩していて休暇を取っていました。

 

しかし王進の元に役所の人たちが慌ててやってきます。なんと、高俅は王進が挨拶に来ないことに怒ったのです……他の役人たちが病の届がちゃんと提出されて受理されていると進言したにも拘わらず、これは仮病だ!引き立てろ!と騒ぎ出す始末。このままでは自分たちまで咎めが及ぶという役人たちに、王進は病の身でありながら挨拶に向かうことになりました。

 

 

父・王昇と無頼漢時代の高俅の間にあった過去の因縁

 

「貴様が王昇の子の王進だな!」

 

そこまでして挨拶にきた王進に、高俅はいきなり罵声を飛ばします。

 

「お前の父親の王昇は道端で薬売りをやっていた癖に!しかも仮病など使いおって!お前なんかに武芸などが分かる訳がない!この卑怯者を打ち据えろ!!」

 

あまりにも一方的な物言いに言葉を失う王進、役人たちがなんとか今日は高俅様が着任したおめでたい日なので……と取り成し、今日はこれまでにしてやるが……となるものの、王進は次の高俅の言葉と父親との因縁に若干の焦りを感じます。

 

太尉に大出世した高俅による、陰湿で理不尽な復讐の始まり

 

「明日には必ず始末してやる」

 

さて高俅、嘗てはならず者していたことがあり、その高俅を棒で打ち据えて大怪我をさせたのが、王進の父親である王昇だったのです。高俅は高い地位に付いたことをいい事に、王昇の息子にその恨みを晴らそうと言うのでしょう……なんって陰湿で陰険で厭らしいやつ!(私情)

 

しかしこんな理不尽な仕打ちを息子だからと受ける道理はありません。王進は家に帰るとすぐに母親と相談し、早朝には東京から逃げ出す道を選びました。

 

 

 

老母を連れての決死の逃避行にみる、王進の親孝行な一面

 

その逃亡を知るやいなや、高俅は王進を指名手配します。そんな中で懸命に逃避行を続ける王進とその母、延安府の近くまで辿り着くことができたのですが……ここで困ったことになりました。夜道を歩くも辺りに宿がなく、更に逃亡中で身の危険もあり、心身共に疲労している母を野宿させる訳にはいかないと思ったのでしょう、王進は必死でどこか休める所はと目を凝らします。

 

そこに天の助けのように一条の光が!大きなお屋敷辿り着き、王進はそこの下男にどうか一泊、家賃も必ず払いますと頼み込みます。そこの大旦那様が良い方で、王進はやっと母親を休ませることができたのです。理不尽な運命を受けながらも、老母を決して見捨てない、王進の親思いな一幕ですね。

 

逃亡の旅路で倒れた母を救ってくれた史家村(史太公)への恩義

史進(水滸伝)

 

この辿り着いたお屋敷の大旦那様こそ史大公、そう、九紋竜・史進の御父上です。史大公は親切にも客間を用意させ、食事や酒も振舞いました。また、この時に王進の母親は長い逃避行で体調を崩していたので、体調が良くなるまで屋敷に滞在した方がよいと勧めてくれたのです。王進はこの申し出に深く感謝し、暫くこの屋敷に逗留することになりました。

 

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史家村での出会い:九紋龍・史進(ししん)との師弟関係

史進(水滸伝)

 

そして五日、六日と日が経つと、母親の調子も良くなってきました。世話になっていてもいつまでもという訳にはいきません、王進は約束を違えることも、それに甘えることもなく、出立の用意を始めます。王進は馬の様子を見に厩へ向かいました。

 

ここで、運命の星が動きます。一人の若者が、屋敷の庭で棒の稽古をしていました。全身に見事な青龍の刺青をした若者でした。水滸伝を知る方ならばすぐに察しが付くでしょう、この青年こそ、史進です。

 

 

武芸自慢の若者・史進の「隙」を一瞬で見抜く達人の眼力

 

久しぶりに他の人物が鍛錬する様子を見たからでしょうか、王進はその様子を暫く観察していました。そうして一言、口に出してしまいます。

 

「中々のものだ、しかし、真の武芸者には適うまい」

 

史進(水滸伝)

 

その言葉は史進の耳に届き、怒りに火を付けました。

 

「自分は何人もの師匠から武芸を学んだんだぞ!お前なんかにケチを付けられる覚えはない!」

 

思えば史進が武芸を何人からも学んだとは言え、それは村の中でのこと。そして王進は禁軍教頭、言ってしまうと井の中の蛙大海を知らず、ではあったのかもしれませんが、それでも史進の力を一目で見抜いた王進の眼力、正に、別格、と言った所でしょうか。

 

【名シーン】史進の棒術を軽くあしらう、圧倒的な実力差

史進(水滸伝)

 

慌てた大旦那様こと史大公、つまり史進の父親は失礼な口を利かないように、と史進を宥めようとしますが、それで納得して口を慎むようなら史進ではないでしょう。そこで史大公は王進に、この若者名が史進であること、自分の息子であることを説明し、良ければ稽古をつけてやってくれないかと頼みました。こうして王進と史進の一勝負が始まります。

 

が、その勝敗はあっさりと、それでいて圧倒的な者でした。王進の棒術の前に、史進は膝を着くことになったのです。

 

 

わずか半年で史進を一流の武芸者に育て上げた凄まじき指導力

史進(水滸伝)

 

圧倒された史進は自分の師になってくれと願い、史大公も頼み込みます。ここで王進は自らの身分を明かし、宿泊の礼にその日から史進に武芸十八般を叩き込むことになるのでした。この十八は「「矛・鎚・弓・弩・銃(斧の一種と言われる)・鞭・簡(鉄鞭の一種)・剣・鏈・撾・斧・鉞・戈・戟・牌(たて)・棒・鑓・杈」となり、鍛錬は毎日行われました。

 

そして半年後、史進の腕が十分熟達したことを見届け、王進は旅立つこととなるのでした。

 

北方謙三三国志

 

 

実戦経験と指導力を兼ね備えた「パーフェクトな武人」

史進(水滸伝)

 

もちろんこの王進からの鍛錬を真摯に受け止め、その武芸を習得した史進の凄まじい潜在能力にも目を見張りますが、何よりも凄いのがこれらの武芸を「教え込んだ」こと。元々は禁軍教頭、ならばもちろん実戦の経験も積み、指導力もあったでしょう。しかしその経験、実力が、ただの経歴ではないことがここで証明されます。正しく両翼を金ソロパーフェクト武人、それこそが王進なのです。

 

先生と呼ばれる意味、伝わりましたでしょうか?

 

同じ禁軍教頭である豹子頭・林冲(りんちゅう)との強さ比較・考察

 

さてここで気になるのが、首都開封で禁軍の教頭をしていた林冲。言わば王進と林冲は同じような――……いえ、高俅による被害者という点まで、一致している人物。この林冲との強さを比較したくなるところですが、残念ながら比較材料があまりにも乏しい!せめて林冲と史進にもう少し絡みがあれば比較しやすいのですが……高俅らじゃ比較できる材料にすらなりませんからね!(辛口)

 

ただ最期は復讐の道を選び、それで尚遂行できなかった林冲、母親を連れ、逃亡の道を選んだ王進……この道の違いは、筆者も意図的に描いたのでは……と、勘ぐってしまいますね。

 

もし王進が梁山泊に入っていれば「五虎将」筆頭クラスだった説

 

さて、林冲のみならず水滸伝の五虎将らと王進、強さ比較はどうか?という考えは、水滸伝を呼んだ人なら多くの人物が思い描いてしまう道。それを文章にしたのが、北方水滸伝でとも言えるでしょう。北方謙三水滸伝では、王進は史進に武芸を教えた後も出番があり、多くの若者たちに道を示す存在となっています。この者たちの多くが梁山泊の戦力となるので、直接的ではないものの、梁山泊の手助けをする存在とも言えるでしょう。

 

因みにこちらでは林冲から「相手をしたとして、槍なら勝機はある」と言われるほどの腕前で、実質、本編では最強の存在と言ってもいい存在です。正に読者による「王進先生がもっと梁山泊で活躍してほしかった!」の願望が詰め込まれている王進ですので、ぜひ王進先生ファンの方はこの北方謙三水滸伝で王進先生の解像度を高めましょう!

 

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史家村からの旅立ち:王進はその後どこへ消えたのか?

 

そう、北方謙三水滸伝では梁山泊にとって人知れずバックアップ体制な王進先生ですが、本編では違います。

 

半年後、史進につける稽古はこれでよし!と判断した王進。そろそろ出立しますと史親子に告げました。二人は王進を引き留め、何ならずっとここにいてくれ、と申し出ましたが、王進はこれに頷かず。王進は当初の目的通り、母親を連れて延安府に旅立ったのでした。

 

史進、師との涙の別れです。何ならこの濃密さでぜんぜん話進んでないまであります。恐ろしくも面白い話ですよね、水滸伝。

 

延安府の老種経略相公(ろうしゅけいりゃくしょうこう)を頼るという旅の目的地

 

話がいつも通り余談仕掛けましたが、王進の向かった先。延安府という、王進の武芸の腕前を知る者がたくさんいるという場所。そこの老種経略相公という人物を頼るとのことですが、この経略とは官職、地方長官のことであり、老種、とは年寄り……ではなく、年長、つまり種氏の年長者、という意味となります。そして相公は相手への敬称、つまりざっくりというと、地方長官をしている身分を持つ種氏を頼るとのことですが……この人物がどのような人物かは分かりません。なぜなら、王進の水滸伝における出番はここで途絶えるからです。

 

弟子の史進が必死に捜索しても、二度と見つからなかった理由

 

その後、色々とあって故郷を追われることになった史進は王進先生を探します。しかし王進先生と史進との再会はかなわないまま、史進は梁山泊入りをし、そして方臘戦で命を落とします。この間に長い長い時間が流れているのですが、それこそ王進との涙の別れをした史進も必死に先生の足取りを追いますが、決して再会せず、ですがその命が途絶えたなどの話もなく、王進は水滸伝から姿を消すのです。

 

なぜ、王進は二度と見つからなかったのか。どうして弟子との再会はなかったのか。もっと言うならば。

 

「どうして作者は王進を梁山泊と合流させてくれなかったのか」

 

これには様々な考察がありますが、その一つ、大きな一つに、史進の存在があります。

 

 

【考察】作者・施耐庵はなぜ王進を梁山泊に合流させなかったのか?

三国志を楽しく語るライターセン様

 

さて史進は最終的に梁山泊入りしますが、最初に出てきたのにこの梁山泊入りまでが非常に長い。本当に長いです、史進どこいった?と思うくらい間が空きます。

 

この理由の一つに、「史進の話は後から挿入されたもの」という説があります。そもそも水滸伝は梁山泊の生辰綱から始まる物語で、それ以前の登場人物たちが後から集結してくるのは後々の登場人物たちへの「肉付け」、という説です。なのでこれだけ序盤にバックストーリーを盛りに盛られた王進というキャラクターは、そもそも後半で登場する処か、序盤に登場するためだけに設えられたキャラクターだったので、後半では当然のことながら登場できない……ということになります。

 

実際の理由は分かりませんが、この説であればそもそも史進の扱いが後半に行くほどあんまりよく……よく……ないよね……?というのも、納得が、いかないけれどもいくかな……ということになるので。いや王進も史進ももっと出てきてほしかったな、という気持ちは山より高し湖よりも深しではありますが。ただ水滸伝を基にした話になると北方謙三水滸伝もそうですが、史進や王進はスポットライトを当てられやすいので、もっと活躍して欲しかったな、と思う読者が多いのは、考を同じくする同志が多く感じられ、面白いと思いますね。

 

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王進の生き様が現代の私たちに教えてくれること

 

ともあれ、王進は史進のみならず、読者にも多くの教えを授けてくれる登場人物ではないでしょうか。高い能力、それに見合った地位、それを持っているにも拘わらず、その地位を追われ、国を追われ、逃げ延びるしかなかった……いえ、逃げ延びる道を選んだ。強大な理不尽とただ真正面から戦うではなく、受け流し、別の道を模索した。単純なようでいて、とても選ぶのが難しい、そんな道を選んだ人物です。

 

理不尽な権力(パワハラ上司)と戦わず「逃げるが勝ち」を体現した賢明さ

林冲(水滸伝)

 

ここで立場が似ている林冲に話を戻しましょう。林冲は最終的に高俅への復讐を……遂げることこそできなかったけど、その道を選びます。それは決して林冲が愚かで、王進が正しい道を選んだという訳ではありません。林冲とて、最初は捕縛され、奥さんに生きる道を選んでくれと伝えて、その上で命が助かったためにすぐに迎えに行こうとして――あの結末ですからね、そりゃあ復讐を選んでも何らおかしいことではないでしょう。ただ、老いた母を連れて逃げる道を選べた、その強さと懸命さ。その道を選べるだけの強さこそが、王進の姿であると思います。

 

次世代(史進)に技術を継承したことで、物語に永遠に名を残した功績

 

また王進はただ逃亡しただけではありません。その先でも母への孝は忘れず、手助けしてくれた史大公への礼も欠かさず、更に自分のその技を、まだ若き史進へ託して、繋いでいっています。これは王進にとって、逃避行はただの逃げの一手ではなく、命を繋ぐための目的であったことの証明ではないでしょうか。……惜しむらくは史進で止まってしまったことですが、それはまあ、それ以降は王進の知る所ではない(劉邦風味)……ということかもしれません。

 

ただ退くだけでなく、退いた上で何をするべきか。それを忘れていなかったからこそ、王進はいつまでも我々の中に強く残っているのだと思いますね。

 

林冲や楊志のような「悲劇の転落」を避けた、水滸伝で一番の勝ち組?

 

ここでまた林冲の名を出すのも気が引ける所ではありますが、最後に一つだけ。林冲、もしくは楊志など。国に、もっと言えば高俅に被害を受け、その上で立場を追われた登場人物は多くいます。王進のその後は語られません。なので、ただ悲劇で終わった林冲や楊志らとは、比較はできないともも言えるでしょう。

 

しかし、王進の選んだ道は。ただ退き、命を繋ぎ、その上で何をしていくか、ずっと考えて忘れなかった道とも言えます。時に逃げてもいいのです。もっと言えば、忘れられない何かに、ずっと縛られてもそれもまた生き様です。

 

だけどその上で、自分とは何か。自分がしたいこと、やりたいこと、やるべきこと、できたらやるべきこと、終わらせておくことが望ましいこと。人生は、そういうことをラベル分けして、選んで、解決して、答えを出して、次に手を付けて……そうしていく道の連続なのかもしれません。時に休んだとしても、その続く選択から目を反らさず、生きていく。そしてその果てに何があるか。王進の先行きまで見たかった、そう思うからこそ。続いていく何かを見届ける、それが一番大事で、そして一番難しいことなのかもしれない。ふと思った、筆者なのでした。

 

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水滸伝入門ガイド

 

三国志ライター センのひとりごと

 

三国志ライター セン

 

いやそれはそれとしてやっぱり王進先生と史進の活躍はもっとあっても良くない?(余韻帳消)王進の出番は水滸伝の序盤も序盤なんですけど、見返すほどにこれから何が起こるかワクワクしますね。このワクワクを、王進、史進に重ねている部分も多くあるのでしょう。だからこそその後で何だかもんにょりしてしまうのかもしれませんが。

 

それが別の話に繋がり、スピンオフに繋がり、そうして別の面から見た彼らが語られる。そういう面白さもまた、水滸伝です。まあつまりはみんな北方謙三水滸伝見たら面白いよ!ということなのですが!特に王進の母と武松の別れが……もうここまで来ると王進も史進も関係ないけど!本当に良いです!脱線はなはだしいのでここらにつつ、今宵も湖の畔で。どぼーん!

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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