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この記事の目次
馬に乗るということ
因みに放浪時代がどれだけ厳しかったかどうかは一概には言えませんが、ちょっと馬術、乗馬を例にしてみましょう。乗馬は馬に乗っているだけと思ってしまいますが、実は乗馬は馬に乗るバランス、リズムによって体幹、脚の筋肉が良く鍛えられ、エアロビクスと同じほどの消費カロリーがあると言います。
そう考えると放浪時代に馬に乗っていたとしたら、劉備の消費カロリー、体の鍛え具合はかなりの物だったと言えるでしょう。
髀肉が生まれない半生
若い頃は馬に乗って、時に歩いて、苦労していたために鍛えられていた腿、そこに贅肉が付くというのは何もせず過ごしていた証。更に言うならこの時に劉備は既に40代。
中年太りしてくる年でもあり、人生も半ばはとうに過ぎ……それにも関わらず何も成し遂げていないとなると、焦るのも道理というものです。だって何かを成し遂げなければあの辛かった日々さえ意味がなくなってしまうのですから……だからこそ髀肉之嘆が生まれ、そんな風に年を取ってしまう前に何かを成し遂げよう、という故事成語になったのでしょうね。
「ひにく」の「ひにく」
因みに髀肉之嘆が生まれた頃、劉備は待ち望んでいた人物とも言える「諸葛亮」と出会います。また劉備が荊州に滞在していた頃には、多くの人材が劉備の下に集ったとも言われ、これを警戒した劉表からあまり重用されなかったとも言われています。
つまり言ってしまえば「髀肉之嘆」に至ったからこそ、劉備は後に蜀という土地を手に入れるまでになれた、とも言えると思います。そう思うとこの時代も決して無駄ではなかったんだな、と何だか「ひにく」を感じさせられてしまいますね。
三国志ライター センのひとりごと
劉備の半生を知っているとなおこの故事成語の意味が深くなります。なので、故事成語はその意味だけでなく、その由来までもを知って頂くとより楽しめます。三国志時代に生まれた故事成語はまだまだあるので、ぜひ皆さんもその故事成語が生まれた経緯や由来を知って、人生をより豊かにしましょう。
参考文献:蜀書先主伝
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