馬謖は処刑されていない?「泣いて馬謖を斬る」の真相に迫る!

2022年1月27日


 

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泣いて馬謖を斬る諸葛亮

 

三国志」に由来する故事成語は数多くありますが、その中でももっとも有名なものの一つが「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」でしょう。今回は「正史三国志」の記述から、「三国志」ファンならだれもが知る故事成語である「泣いて馬謖を斬る」の真相に迫ってみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「泣いて馬謖を斬る」とは?

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

「泣いて馬謖を斬る」という故事成語は、蜀漢の英雄・諸葛亮孔明(しょうかつりょうこうめい)(以下、孔明とします。)が軍律を守るため、涙を呑んで愛する部下を処刑したという故事にちなんでいます。

 

三国志演義_書類

 

この話は「正史三国志」「三国志演義」の双方に登場し、それらの内容にはあまり違いがなく、以下のような話になっております。

 

馬謖

 

蜀漢の武将に馬謖という人物がおりました。馬謖は荊州(けいしゅう)の名家出身であり、軍略の才に優れていました。しかし、馬謖は己の才能を誇るという欠点があり、蜀漢をうちたてた劉備(りゅうび)はその点を見抜いていたため、馬謖を重用しませんでした。

 

馬謖に魏打倒を叩き込む諸葛亮孔明

 

一方、孔明は才能あふれる馬謖をかわいがり、腹心の部下として重用します。そして、第1次北伐に際しては馬謖を先鋒部隊(せんぽうぶたい)の将に任命します。

 

馬謖の山登りに反対する王平

 

馬謖の任務は、要衝である街亭の街道を押さえることにありましたが、馬謖は孔明の命令を無視し、副将の王平(おうへい)の反対を押し切って街道ではなく山頂に布陣します。

 

水路を断たれ残念がる馬謖

 

この戦術上の誤りを見抜いた魏の張郃(ちょうこう)は、水源を断った上で馬謖の部隊を包囲したため、馬謖の部隊は敗れ、蜀漢は第1次北伐に失敗しました。

 

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

この後、馬謖は軍律違反の罪で捕らえられ、孔明は全軍の軍律を引き締めるために、泣く泣くかわいがっていた馬謖を死罪としたというのが、「泣いて馬謖を斬る」という話です。

 

この故事成語は、「組織の規律を保つために、たとえかわいがっていたものであろうと規律違反者は厳罰に処す」ことのたとえとして使われるようになりました。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

 

「正史三国志」におけるエピソードの食い違い

正史三国志_書類

 

「泣いて馬謖を斬る」というのは何とも悲しいエピソードですが、「正史三国志」にも記述があるので、史実である可能性が高いです。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

「正史三国志」におけるこのエピソードは孔明、王平、馬良(ばりょう)向朗(しょうろう)の列伝にそれぞれ書かれている一方、それぞれの列伝の記述がやや食い違っており、「泣いて馬謖を斬る」というエピソードの真相がどうであったのか、非常にあいまいになってしまっています。

 

そこで、今回の記事では、それぞれのエピソードを改めて見ていき、誰もが知る「泣いて馬謖を斬る」というエピソードの真相に迫っていきたいと思います。

 

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「諸葛亮伝」「王平伝」での記述

孔明

 

「正史三国志」の「諸葛亮伝」「王平伝」での「泣いて馬謖を斬る」のエピソードは、いわば皆さんお馴染みのものです。つまり、馬謖が命令無視を働いたことに対し、孔明は馬謖を処刑し、自らも将士に謝罪して責任を明らかにしたというものです。

 

同年小録(書物・書類)

 

これに加え、東晋の習鑿歯(しゅうさくし)編纂(へんさん)した『襄陽記(じょうようき)』では、蔣琬(しょうえん)が「未だに天下を取っていないのに、有能な士を殺すのは惜しいではないか」と孔明を諫め、馬謖の処刑を思いとどまらせようとしますが、孔明は涙を流しながら、軍律を最優先するために馬謖の処刑に踏み切るという一幕が付け加えられています。

 

おそらく、孔明が涙を呑んで馬謖を処刑するという、「三国志演義」の悲劇的なエピソードはこれらを典拠としていると思われます。なお、この「泣いて馬謖を斬る」に対し、『襄陽記』の作者・習鑿歯は、「()の成王は有能な家臣を処刑したために連戦連敗した。蜀漢は(楚に比べて)辺境であり、才能ある者も少ない。それなのに俊才を殺してしまった」と批判的に捉えています。

 

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馬謖

 

 

「馬良伝」の記述:馬謖は処刑されていない!?

蜀志(蜀書)_書類

 

一方、「馬良伝」では、「(しょく)(馬謖)下獄物故(げごくぶっこ)」となっており、馬謖は投獄されて死んだことになっています。特に、「(ちゅう)」「(りく)」などの死刑を意味する語が用いられていないのは興味深く、これだけを読むと馬謖は投獄されて獄中で死去したようにも読めてしまうのです。

 

つまり、「馬良伝」の記述を読む限り、馬謖は「斬られて」いないのです。しかし、ほかの列伝では全て馬謖が処刑されたことになっており、そう考えればこの「馬良伝」の記述は異様です。このように記述されている理由については、いくつかの説があります。一つには、単に「下獄物故」という部分が「投獄されてから処刑された」ことを意味する説です。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

もう一つの説というのは、「正史三国志」において、陳寿(ちんじゅ)がそれぞれの人物の伝記を編纂する際、同時代に書かれた史料を参照したと思われますが、「馬良伝」のもととなったのは馬家の家伝であり、名家である馬家は一族の馬謖の不名誉な死に方をぼかして記録しており、陳寿もそれをそのまま「正史三国志」に反映したという説です。

 

晋蜀の産まれ 陳寿

 

なお、当時影響力を持っていた儒教の考え方では、「刑は士大夫(したいふ)に上らず」(『礼記(らいき)』)という考え方があり、上流階級である士大夫は礼をもって自らを律し、庶民の受けるような刑罰を受ける必要はなく、庶民の受けるような刑罰を士大夫が受けるようなことは恥であるとされていました。だからこそ、名家であった馬家の馬謖が死罪となるということは不名誉な死であったのでしょう。

 

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「向朗伝」の記述:馬謖は救いようのない状況だった!?

敵に囲まれる馬謖

 

また、蜀漢の有力者であった向朗の列伝では、馬謖が軍律違反以外にも罪を犯していたことがほのめかされています。「向朗伝」によれば、馬謖は軍律違反を犯して敗北を招いた後、あろうことか逃亡を企てます。

 

向朗は普段から、同じ荊州出身の馬謖と仲が良かったので、馬謖の逃亡を見逃してしまい、孔明の怒りを買って免職させられてしまったという記述があるのです。これがもし事実であれば、軍律違反を犯したのみならず、責任を取ろうとせずに逃亡を図った馬謖は、弁護のしようがない状況ということですね。

 

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一騎打ち

 

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。三国志ファンならだれもが知る「泣いて馬謖を斬る」というエピソードも、細かく調べてみればなかなか考察のしがいがある奥深い話でしたね。

 

馬謖の副将として配属される王平

 

誰もが知っているエピソードでも、詳しく掘り下げてみれば、これまで知らなかった奥深さが浮かび上がってくるというのも、三国志の面白さではないでしょうか。

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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