三国志には多くの美女たちが出てきます。
ちょっと見ていると「どんだけ美女だらけなの?」なんて思ってしまいますよね。
今回はそんな美人たちの中から、周瑜の妻として名高い小喬をご紹介しましょう。
「花も恥じらう」なんて言われた小喬は、本当に美人だったのか?そんなところにも注目していきますよ。
この記事の目次
橋玄の娘
さて、小喬は正史において姉の大喬と同じくほとんど記述がありません。生没年は当然ながら不詳ですし、喬公の娘で、大喬の妹で、周瑜の愛妾の一人にされています。
因みにこの小喬という名前ですが、本名かどうかも不明です。あくまで喬公の家の年上の娘を「大喬」と、年下の娘を「小喬」と呼んだ、とも言われているのです。
沈魚落雁・閉月羞花
そんな小喬は三国志演義において、姉の大喬と同じく美人として有名です。
「沈魚落雁 閉月羞花」と呼ばれ、魚は泳ぐのを忘れて沈み、空を飛ぶ雁は魅了されて落ち、月は恥じて姿を隠し、花もしぼんでしまうほどの美しさ……という、言葉を尽くしたような美人とされています。
言葉を見ているだけでもその美しさが伝わってきそうですね。
有名な(悪評?)銅雀台について
そんな小喬が一番目立つと言って良いのが、三国志演義における赤壁の戦い。
周瑜を怒らせて開戦させようと企んだ諸葛亮は「曹操は二喬を手に入れて銅雀台に住まわせたいと言っているそうですよ」と声をかけます。この一言で周瑜は戦いを決意したとされていますが、それほど美人として伝わっていたということが分かる瞬間でもあります。
ただこれまでの記述はあくまで三国志演義のもの。
正史における小喬はどんな人だったのでしょう?
お嫁さんになった下り
さて正史における小喬、そして姉の大喬が周瑜と孫策に嫁いだ下りは一応説明されています。しかしロマンチックな恋愛シーンではなく、捕虜となっていた姉妹が二人の目に留まり、愛妾にされたというもので……事実は小説のようにはいかないようで。
また「美人」「美女」という下りもないので、美人かどうかははっきりとはしていないのです。しかし筆者は個人的には美人であったと思っています。
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