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今日のkawauso17「恥ずかしながら帰って参りました!」

2020年8月22日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし水滸伝って何? 書類や本

 

正史三国志には、伝が立っている曹操や劉備、孔明のようなメジャー武将以外にも、ある部分に僅か1回名前が見えるだけという人物もいます。

そういう人も含めると、三国志には何千という人物が記録されている事になりますが、最近、正史三国志をペラペラめくっていると、牽招(けんしょう)伝に見た事ない人名が、、

 

文帝が践祚(せんそ)(即位)すると、牽招は排されて使持節、護鮮卑校尉とされ、昌平(北京市)に駐屯した。

この時、辺民は山沼に流散し、又は亡命反抗して鮮卑の中にあり、そうした場所は千を単位として数えた。

牽招は、広く恩信を布き、投降する者が増えるように仕向けた。

建義中郎将公孫集(けんぎちゅうろうじょうこうそんしゅう)らは部曲を率将してみな各々命に帰し本部に還らせた。

公孫越

 

ちょっと待って!建義中郎将公孫集って誰!!

 

検索しても名前も経歴も出てこないけど、公孫瓚の一族、それとも遼東公孫氏?鮮卑族の中に紛れていたみたいだけど、

中郎将の地位を持つからには、公孫集さん、きっとそれなりの地位にあった武人に違いない。

もしかして、公孫瓚が袁紹に滅ぼされた後も、袁紹にも曹操にも従わずに徹底抗戦していた、三国志版の小野田少尉みたいなものだろうか?

 

公孫瓚が滅亡して21年、年老いるまで戦い続けて限界を感じ「恥ずかしながら帰って参りました」って牽招に降伏してたら面白い

 

前回記事:今日のkawauso16「鍾会の墓参り」

 

公孫瓚特集

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき