蜀の劉備と諸葛亮が「水魚の交わり」と呼ばれるほどに親しく、かけがえのない関係であったことは有名ですが、諸葛亮の兄である諸葛瑾と、呉王である孫権もまた同様の関係でありました。
そんな諸葛瑾が出てくると良く「ロバ」と言われることがありますが、皆さんはこの「ロバ」の逸話についてご存知でしょうか。今回はこの諸葛瑾について、そしてロバについて、ご説明させて頂こうと思います。
この記事の目次
諸葛子喩
姓は諸葛、名は瑾、字は子喩。その姓から想像できると思いますが、諸葛亮の実兄です。諸葛亮は長身であったと言われており、兄である諸葛瑾も体格は堂々としていたと言います。
弟が有名なため影が薄いように感じることもある人物ではあるものの彼もまた諸葛、知恵のある人物であり何よりも篤実温厚なその性格を多くの人たちが慕いました。そしてその知恵と性格に支えられたのが、呉王孫権です。
孫呉における水魚の交わり
諸葛瑾は孫権に信頼されていました。何事か起こればすぐに「子喩、子喩」と孫権は諸葛瑾に相談していたと言います。若くして父と兄を亡くした孫権にとって、諸葛瑾は兄のような存在であったのかもしれません。
そして諸葛瑾はそんな孫権の性格を良く理解していたのか、不仲な武将たちとの間を取り持ったり、戒める時であってもあくまで穏やかに諭していたので、孫権も良く諸葛瑾の言うことは聞きました。孫権に直接意見できる人物、諫められる数少ない人物であったのです。
諸葛瑾の「ロバ」
さてそんな諸葛瑾、三国志ファンからは「ロバ」の愛称(?)で親しまれています。というのも諸葛瑾は顔がいわゆる面長であったということ、そしてとある逸話が元となっているのです。
その逸話には主である孫権の酒癖の悪さ、息子である諸葛恪の優秀さ、そして諸葛家の先を案じる諸葛瑾と、数多くのエピソードが盛り込まれているお話。それを次に見ていきましょう。
とある日の呉
それはとある日の呉、お酒大好き孫権が酒宴の席でご機嫌に過ごしていました。と、そんな中でいきなり孫権は酒宴にロバを連れてきます。何をするのかと思っていると、そのロバの顔に「諸葛子喩」と書いたのでした。
これは面長な諸葛瑾をからかった話ですが、いつもお世話になっている諸葛瑾の容姿をからかうなんて……皆さんもお酒の席とはいえ他人の容姿をからかうのは止めましょう、ね、魏の皇帝様!
【次のページに続きます】