えっ、こんなにいるの!?曹操の側室劉夫人と沛国劉氏の人々を紹介




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曹昂(曹昴)

 

曹操(そうそう)の後を継いで魏(220年~265年)の初代皇帝となったのは曹丕(そうひ)です。しかし曹丕以前に曹操には曹昴(そうこう)という息子がいました。

 

丁夫人

 

曹昴は曹操最初の夫人である(てい)夫人が養育しましたが、実際は彼女の子ではなく曹操の側室である(りゅう)夫人の子でした。劉夫人は史料が少ないので、はっきりした人物像は分かっていませんが曹操と同郷の人物であり、また親族と思われる人物が曹操配下にも何人かいます。

 

今回は劉夫人とその親族である沛国劉氏の人々を紹介します。




劉夫人 曹昴の実母

劉夫人(曹操の妻)

 

劉夫人は豫洲沛(よしゅうはい)国相県の出身です。詳細な事績は分かっていません。史料から分かっていることは曹昴と彼の妹である清河長公主(せいがちょうこうしゅ)の実母であることでした。

 

曹丕を生む卞夫人と曹操

 

亡くなった時期も判明していませんが、曹丕(そうひ)の実母である(べん)太后が曹操に迎え入れられたのが光和2年(179年)頃だったので、その時期までには鬼籍(きせき)に入っていたと推測されます。




劉氏と夏侯氏 切れない姻戚関係

夏侯淵

 

正史『三国志』によると夏侯淵(かこうえん)は曹操の内妹(ないまい)を妻に迎えていることが記されています。内妹とは妻の妹です。曹操の後妻である卞太后に妹はいません。

 

劉馥(りゅうふく)

 

この女性は名前の記載がゼロなので、断定はされていませんが研究者は劉夫人の妹と推測しています。なぜなら、後述する劉馥(りゅうふく)の孫の劉弘(りゅうこう)には夏侯陟(かこうちょく)という娘婿がいるからです。劉弘と夏侯陟は西晋(せいしん
)
(265年~316年)の人物です。

 

三国時代(220年~280年)が終わっても、劉氏と夏侯氏の姻戚関係は切れないで深く繋がっていたと分かります。

劉馥 『三国志演義』では悲惨な死に方

三国志演義_書類

 

沛国相県の劉氏で有名な人物は、前述した劉弘の祖父である劉馥です。劉馥は正史の事績よりも『三国志演義』の方が有名。建安13年(208年)の赤壁(せきへき)の戦いの前夜に曹操が宴会をするのですが、この時に曹操は詩を吟じます。従軍していた劉馥は「内容が不吉です」とコメント。酔っていた曹操は怒ってしまい、劉馥を斬ってしまいます。

 

ところが、酔いから覚めた曹操は「やり過ぎた!」と後悔したのでした。お酒って怖い・・・・・・

袁術配下の武将を説得

袁術

 

それでは正史の劉馥はどんな人なのでしょうか。正史によると劉馥は動乱を避けて揚州に赴きました。理由は興平元年(194年)の曹操による徐州大虐殺と考えられます。劉馥が赴いた揚州に陣取っていたのは当時、勢力が強かった袁術(えんじゅつ)でした。

 

袁術

 

さて、建安元年(196年)に袁術が皇帝即位の計画を進め始めた頃に、劉馥は袁術軍の武将2名を説得して曹操に降伏させ、その軍勢を連れて曹操のもとに帰っています。曹操は非常に喜んで部下にしました。

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