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前田利益は本当に傾奇者?前田慶次郎道中記で検証

2020年9月21日


 

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前田慶次(前田利益)

 

前田利益(まえだとします)は、戦国時代末期から江戸時代にかけての武将です。戦国時代ファンには前田慶次(まえだけいじ)と言ったほうが分かりやすいでしょう。一般には、世の中の建前や強い者に()びへつらう風潮に抗い奇抜な行動をした傾奇者の1人として、そのロックな生き方で江戸時代から有名になりました。

 

同年小録(書物・書類)

 

しかし、前田利益の生涯は一次史料が少なくて多くが謎であり、その人物造形は江戸時代の武辺咄である「武辺咄聞書(ぶへんばなしききがき)」「常山紀談(じょうざんきだん())」「翁草(おきなぐさ)」などで形成され、それにヒントを得た隆慶一郎(りゅうけいいちろう)の小説「一夢庵風流記(いちむあんふうりゅうき)」とそれを原作とした原哲夫の漫画「花の慶次(けいじ)」により、イメージが固定されたようです。

 

では、私達が知る前田慶次の反骨は嘘っぱちなのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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前田利益本人が書いた「道中記」が存在する

幕末 魏呉蜀 書物

 

前田利益について記した一次史料は少ないですが、一方で源氏物語を愛読し、盟友の直江兼続(なおえかねつぐ)と共に史記に注釈(ちゅうしゃく)をつけたほどの文化人だった利益は、道中記という旅日記を書いています。

 

傾奇者だけどエリートな前田慶次(前田利益)

 

道中記とは、慶長六年(1601年)に利益が京都から米沢に下向した折の事を記したもので10月20日に伏見を旅立つところから始まっています。その頃、前田利益は60歳、あるいは69歳という説がありますが、73歳で死んだそうなので、老齢なのに長旅が出来る辺りは身体壮健な人だったのでしょう。

 

今回は、この道中記を通して前田利益の性格、人となりを考えてみようと思います。

 

情深い人だった前田利益

浪人生活を送る前田慶次(前田利益)

 

利益は、この旅に楚慶官人(そけいかんじん)という朝鮮人とその子供2人を下人として従えていました。しかし菩提山の(ふもと)、関ケ原まで来たところで、父親の方が重病になってしまい、利益は菩提の城主に手紙を添えて預け、自身は2人の子と旅を続ける事にします。

 

親子は別れ別れになるわけですが、子は父親を思って泣き、父は子を思って泣きます。恐らく、この親子は豊臣秀吉の文禄の役と慶長の役で朝鮮半島から連行された人達なのでしょう。

 

異国の日本で親子3人、帰るに帰れず、さらに菩提で重病の父とも別れる事になる。もしかしたら、これが今生の別れになるかも知れない。その嘆きようは悲しく辛く、間に挟まれる利益も涙を拭わずにはいられず、白居易の漢詩、慈烏夜啼(じうやてい)に託してその孝行ぶりを書いています。残忍非情な戦国武将のイメージがある前田利益ですが、年齢の事もあってか、情深く涙もろい一面も持っていたようです。

 

はじめての戦国時代

 

前田利益、自称美女の遊女にボロクソ書く

 

その後、坂本に入った前田利益が付近の人家で休憩していると、厚化粧をして頬紅(ほおべに)を塗りたくった遊女に出会います。

そこで、「お前はどこの国から来た」と遊女に聞くと、遊女は涙にむせび言うには、

 

「都から人にさらわれてここに参りました。美人として生まれる程に憂鬱(ゆううつ)な事は御座いませぬ」と答えたそうです。

 

すると利益は、ここからおよそ文字に書くのも憚られる罵詈雑言(ばりぞうごん)を書いています。

 

その女の顔は、横に3寸も長く、出っ歯には歯クソがつき、見える歯は茶色く変色している。

歯茎にはナッパがつき、歯の隙間には飯粒が挟まり、物を言えばヨモギ色の息を吐いた。

ワシは口には出さなかったが、このような女をさらってくるのは人の心の様々なるを知らないせいだ。

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

合戦が頻繁にあった当時、合戦の戦利品として人間狩りが横行し、女性の場合には、売られて遊女に身を落とす事も多くありました。

 

自分が人買いに売られたと嘆きつつ、「でも、売られたのは美しさのせいなの!」と己を肯定する遊女には、どんな環境でも己を肯定して生きていく女性の(たくま)しさとふてぶてしさが見て取れます。

 

表情 kawausoさん02

 

そして、利益が欺瞞を許せない傾いた性格の人である事も何となくわかります。いや、でも容赦なさすぎです、現代なら炎上案件ですよ。

 

前田利益とインチキ祈祷師

 

高崎に来た利益は、新町の市の日に奥の席にひとりで籠っていました。するとその日は店の主人の祈祷(きとう)の日と言う事で、祈祷師のような者が弟子3、4人に座頭を連れて来ていました。

 

祈祷が済んで、祈祷師が札を書いているのを利益がふと見ると、「天王九九八十六菩薩(てんのうくくはちじゅうろくぼさつ)」と珍妙な事が書いてあるのが見えます。次に主人は、子供を2人連れてきて、この子2人も(まじな)いして下さいと頼むと、祈祷師は心得て(すずり)を引き寄せ男の子の額に犬、女の子の額に猫の文字を書いて与えました。

 

お筆ついでに私達も、と夫妻がいうので祈祷師は主人の額にデカい文字で大般若(だいはんにゃ)、妻の額には波羅密多(はらみた)と書いて寿命長安(じゅみょうちょうあん)と祈りました。何から何までオカシな事になっているので利益は祈祷師を呼び止めて、その文字の由来を聞きます。

 

すると祈祷師は、尊大な態度を崩さず

 

「まず、男子の顔に犬と書いたのは夜道で狐狸に襲われぬ用心である。

女子に猫と書いたのは、女の身の上ゆえ犬には及ばぬ猫で済ますという意味である。

御主人に大般若と書いたのは、大は大の男の意味、般は書き物に判を据えるからで、(にゃ)はニャーで

女子の額に書いた猫の字の泣き声である。また御内儀の波羅密多(はらみた)はどなたもご存知の如く、

子を多くはらみて子孫繁栄の意味で御座る」

 

 

出鱈目(でたらめ)な解釈を堂々と言い放つとそのまま帰っていきました。ここで、利益は昔の事を思い起こします。

【次のページに続きます】

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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