前田利益は本当に傾奇者?前田慶次郎道中記で検証

2020年9月21日


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前田利益は本当に傾奇者?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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真心があれば文言は何でもよい!

三国志時代の巫女(女性)

 

利益が昔、熊野の山中に2、3カ月いた時の事、同じ所に祈祷を頼まれてする巫女がいて霊験あらたかなので、皆に重んじられていました。

利益がその巫女に、「どのような尊い文句を唱えて祈祷なさるのか?」と聞くと巫女は

 

「ほかでも御座いませぬ、王の袖は二尺五寸(にしゃくごすん)、王の袖は二尺五寸と一心不乱に唱えまする。

そうすれば、どんな恐ろしい物も憑きませぬ」

 

と答えました。

利益は笑い、「それは王の袖は二尺五寸ではなく、応無所在(おうむしょじゅう)而生其心(にしょうごしん)であろう」

このように巫女の間違いを正し、その意味をも説いて聞かせたそうです。

 

その後、利益が熊野に行き、巫女の行方を尋ねると、あれから祈祷が効かなくなり他所へ移ったとの事を言われます。利益は、己が正しい事を教えたばかりに巫女の信念に迷いが生じ、祈祷が当たらなくなったのだ、可哀想な事をしたと後悔します。

 

なので、今回も祈祷師の商売の邪魔をせぬように意味だけを聞いて、ただうなづいて「もっともだ」と答えておいたと書いているのです。反骨心旺盛で嘘が嫌いな利益ですが、それも時と場合で、皆が信じて霊験あらたかな祈祷なら文言は間違いでもいいじゃないか、嘘も方便と考えていた事が窺えます。

 

ちなみに、応無所在、而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)とは金剛経(こんごうきょう)に由来する言葉で、言葉をいう時には色々打算を加えてはいけない。その時、その時に思った事、感じた事を素直に述べるがいいという意味だそうです。これでは、悪霊退散には使えないですね。

 

石田三成の祟りに右往左往する人々を笑う

石田三成

 

最後に傾奇者らしい皮肉屋の前田利益の逸話を紹介しましょう。郡山(こおりやま)を越えた利益はそこで武装した男達に守られた大きな塚に出くわします。

 

「これはいかなる塚であるか?」と聞いてみると、石田治部少(いしだじぶのしょう)と言う名前の人の亡骸が都から送られてきたのだが、

所によってはキツネ憑きなどが出て、人が多く悩む事があり、タタリを鎮めようと考えて、国々で武具を帯びて地蔵を造るなどし、所によっては塚を造って治部少を祀っていると答えました。

 

また、三成の輿(こし)が都を出た時には極秘で出てきたものの、下野(しもつけ)あたりでは治部少が夢に出て人を襲い、その人に告げるには、

 

日本戦国時代の鎧(武士)

 

「我を送るなら、(わら)人形を作り具足(ぐそく)(かぶと)を着せ、太刀を()かせて草で馬をつくり金の馬鞍(うまくら)を前後にかけ治部少(じぶのしょう)と胸板に書付直(かきつけなお)し、又、女2名赤き帷子(かたびら)を着せて、札を下げさせ治部少が母、治部少が妻と書付、以上の人形を6人、青き草、柳の葉にて舟をつくり、五色の(へい)を立て先に松明(たいまつ)百挺(ひゃくちょう)灯し連れ、鉄砲200挺、弓を100張、竹槍、指物まで赤き紫蘇(しそ)芳染(ほうそ)(かみ)をして袋にしづく。

上書(うわがき)に治部少と書付、武具かきものは、紙などの木の葉にて武具に手入れして、大きな杖刀(じょうとう)など指し連れ(以下略)」

 

 

このように、夢で石田治部少が言ったそうで、三成の亡骸(なきがら)を乗せた輿が通る所では、山伏(やまぶし)、巫女が念仏を欠かさず唱え、生贄と供物を捧げる大騒動で、毎日、多くの人が輿を護衛していて、いわく、今年の不作は石田治部少の祟りではないか?という噂が各地で出ていると言いました。

 

これに対し、利益は、とにもかくにも笑いのタネ、また人にもなしや?と書いています。

石田三成は前年に首を討たれ亡くなっていますが、しばらくは三成の祟りという事が起きていて、前田利益はそれをお笑い草だと感じているようです。

「なにバカな、生きてさえ家康に勝てなかった男が、死んで未練がましく騒動を起こすものかよ!」

傾奇者前田利益は、英雄の心を知らない庶民の臆病さを笑い飛ばしたのかも知れません。

世間を斜めに見る、人を小馬鹿にして同じ事はしない、利益の辛辣な皮肉屋の一端が見える逸話ですね。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

晩年になっても、前田利益の反骨精神は消えておらず、生涯、傾奇者だった事が、旅行記からも垣間見えるような気がします。

権威に逆らい、世間の同調圧力に屈しない強力な個人であった前田利益は、実際に存在していたと言えるでしょう。

 

参考文献:前田慶次道中日記

 

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麒麟がくる

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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