言葉では伝わらない事も、図形や絵ならすんなり伝わるという事は誰でも経験があると思う。
それは何も現代だけではなく、三国志の時代もそうだった。
(孫堅は)陽人で合戦して董卓軍を大破し、その部督の華雄(かゆう)らを縛り首にした。
この時、ある者が孫堅と袁術の仲を裂いて袁術は孫堅を疑い兵糧を輸送しなかった。
陽人は魯陽から百余里もあったが、孫堅は夜を徹し馬で駆け袁術に面会を求めると、計校(計略)を地面に描いて
「私は董卓とは骨肉の怨みはないが、その暴虐ぶりに武人として義憤を覚え、上は国家の為に賊を討ち、下は将軍の家門の私讐を慰める為に一命を投げうつ覚悟であった。しかし将軍はつまらぬ者の讒言を真に受けて私を疑うのか!」
袁術は恐縮し即座に兵糧を調発し孫堅は帰還した。
ちなみに将軍の家門の私讐とは、袁紹が反董卓連合軍を起こした結果として長安の袁家一門が董卓に皆殺しにされた事を言っている。同じ事は呂布も袁術に言い、強請ネタにしていた。自分で仇討ちが出来ないのは負い目になるんだな。
この時、孫堅がどんな事を地面に描いたのか描写にはないが、董卓の似顔絵とか描いていたら楽しいな、しかし、お猿はだらしない…
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