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この記事の目次
楊松の最期
しかしここからももうちょっとだけ楊松のターン!賄賂に目がくらみまくっている楊松、曹操軍を引き入れてしまいます。最早これまでと張魯は曹操に降伏。
しかし張魯はその潔い降伏を曹操に買われることに。そして今回の立役者(賄賂による裏切り行為)の楊松「賄賂に目がくらみ君主を売った何の役にも立たない小人物」として曹操に処刑されることになりました。
楊松という存在
さてここで考えたいのが「何でこんな奴が三国志演義でいきなり生えてきたんだ」ということ。筆者はこの楊松、注目する所がダメなとこしかないキャラクターでありながら、三国志演義では「欠かせない人物」ではないかと思っているのです。
というのもこの楊松がいたからこそ「暗愚ではあるが最期は潔く、だいたい楊松のせいと言える張魯」「流浪の果てに居場所を奪われ、最終的に劉備と言う仁徳に出会えた馬超」の二つができあがるからなのです。そう、つまりこの演出を作り出すために、楊松という存在が生まれたのではないか、というのが筆者の考えです。
羅貫中先生の筆が唸る……
まず正史三国志の話をすると、張魯は暗君ではありません。やや強引な手段で漢中を手に入れるも、それからの統治は懐が大きいもので、良く亡命した民たちが逃げ延びてきたとされています。
元々馬超も張魯を頼りにして訪れてきたのを、張魯が受けいれて援助を行いました。
ただ馬超は「一緒に歩める人間じゃないな!」といきなり出ていく、しかしホウ徳たちは張魯の元に残る、というのが正史三国志の流れ。
これを再構築したのが三国志演義、ですがそのままでは馬超がなんかいきなり来ていきなり出ていっただけの人。しかし楊松というスパイスを投入することで馬超たちは義の側に立たせるという正に、羅貫中先生の神業とも言える執筆スキル。楊松というキャラクター一人で無理なく、蜀を引き立たせる方向にしたその手腕はやはり舌を巻くものがありますね。
楊白について
因みに楊松の弟、楊「柏」は馬超が劉備への手土産として殺していきます。ただし正史三国志の楊「白」は少し違います。
この楊白、馬超の能力を非難したと典略に記録されています。この下り、馬超が失地回復するために張魯に兵を借りるも、失敗。この事を楊白は咎めたのであって、特に何が悪いということはありません。
そもそもとして正史三国志の馬超は親兄弟を見捨てたとして張魯陣営の人たちに好かれていなかったことを考えると、非難は正当とも言えるでしょう。しかし残念ながら三国志演義では蜀の武将である馬超を非難した、という一点で嫌われてしまったのかな、だから最期は馬超に斬られるという最期を迎えたのかな、と筆者は思います。
そう考えるとやはり三国志演義、良くまとめられた物語ですよねぇ!
三国志ライター センのひとりごと
今回は架空武将から、楊松についてお話してみました。架空の武将とはいえ、三国志演義には欠かせない人物であり、その後のつながりまで完ぺき、中々できることではありません。
羅貫中先生の能力には感服するばかりです。こういった架空武将たち、もっと良く調べてご紹介していきたいと思いましたね。
参考文献:三国志演義
馬超伝の注に引かれた魚豢「典略」
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